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2022年3月30日(水)のみことば

五分バイブルロードマップ 351 2022.3.30(水) 清水聖書教会 牧師 韓在國
聖書;創世記 3:15、ヨハネの福音書 3:16 「わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼 は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」(創世記 3:15) 「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者 が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネの福音書 3:16)
■三位の神様の互いに対する証と仕え 三位の神様はいつも異なる位(Person)が相手の位を高くし、証し、相手の偉大さを現わし てくださいます(ヨハネ 10:29)。三位の神様が各々自分を証せず、互いに証します。 
1.父なる神様が御子イエス・キリストを証する。 イエス様が洗礼を受け、川から上がって来る時、聖霊が鳩のように臨み、天から父なる神 様の御声が聞こえました。「また、天からこう告げる声が聞こえた。『これは、わたしの愛す る子、わたしはこれを喜ぶ』」(マタイ 3:17)。父なる神様が御子イエス様を証ししています。 イエス様が福音伝道の働きをする時、弟子たちに「あなたがたは、わたしをだれだと言いま すか。」と、尋ねた時、「シモン・ペテロが答えて言った。「あなたは、生ける神の御子キリスト です。」(マタイ 16:16」、その時、イエス様は「バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このこと をあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です」(17 節)。このみ ことばから父なる神様が御子イエス様を証しておられるのを確認する場面です。
2.御子イエス様が父なる神様を証する。 父なる神様は御子なるイエス様を謙遜に証し、仕えます。仕えられた御子なるイエス様も父 なる神様を証し、仕えます。パリサイ人たちがイエス様に「あなたの父はどこにいるのです か」と尋ねました。その時、イエス様は「あなたがたは、わたしをも、わたしの父をも知りませ ん。もし、あなたがたがわたしを知っていたなら、わたしの父をも知っていたでしょう。」と答 えられました。また、弟子たちの一人であるピリピが父なる神様を見せてくださいと頼んだ 時、「イエスは彼に言われた。「ピリポ。こんなに長い間あなたがたといっしょにいるのに、あ なたはわたしを知らなかったのですか。わたしを見た者は、父を見たのです。どうしてあな たは、『私たちに父を見せてください』と言うのですか。」というみことばで父なる神様を証し ました。被造物である人間は父なる神様を直接見ることができません。代わりに父なる神 様が遣わした御子イエス様を見ることが神様を見ることです。
3.御子イエス様が聖霊なる神様を証する。 父なる神様を証したイエス様は聖霊なる神様も証ました。聖霊なる神様は「助け主」と称し ます。「助け主」は自ら私たちに降りて来ません。イエス様が父なる神様に助け主を送ってく ださいと求めるとイエス様を通して神様から助け主聖霊様が降りて来ます。「わたしは父に お願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。そ の助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。その方は、真理の御霊で す。・・・」(ヨハネ 14:16~17)。このように聖霊なる神様は真理の霊として父なる神様と御子 イエス様の霊であって、私たちにイエス様のすべてのこと、すなわちイエス様の正体性とイ エス様が成し遂げられたすべてのことに対して教え、思い出させるようにしてくださいます。
4.聖霊なる神様が御子イエス様を証する。 聖書は聖霊なる神様が御子イエス様を証しているという事実も見せてくださいます。「わた しが父のもとから遣わす助け主、すなわち父から出る真理の御霊が来るとき、その御霊が わたしについてあかしします。」(ヨハネ 15:26)イエス様は復活後天に昇られる直前弟子た ちに地上命令を下しました。「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがた は力を受けます。そしてエルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わ たしの証人となります」(使徒の働き 1:8)。すなわち聖霊なる神様が弟子たちを通して御子 イエス様を証するということです。福音(Good News)であるイエス様をこの地上全体に宣べ 伝えるためには聖霊なる神様(力の授与者)の助けがなければなりません。このような姿か ら互いに一つの心をもって交わり、仕え、証する三位の神様の関係を見ることができます。
【適用】三位の神様は人格的に互いに愛し、助け、仕えます。私たちも教会の生活や日常 生活の中で三位一体の神様から学び、教えられた通りに実践していきましょう。
【お祈り】

2022年3月29日(火)のみことば

五分バイブルロードマップ 350 2022.3.29(火)
清水聖書教会 牧師 韓在國
聖書;創世記 3:15、ヨハネの福音書 3:16 「わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おま えの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」(創世記 3:15) 「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひ とりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネの福音書 3:16)
3.人の子(The Son of Man)であるイエス様
イエス様は自ら人の子(The Son of Man)、すなわち「天から下った者」として「人の子です」と表現し ています(ヨハネ 3:13)。
英語で「the Son」と「Man」の[M」は大文字に書かれています。これはイエ ス様の完全な人性(The Perfect Humanity of Jesus)の表現です。
イエス様は根本的に神の本体で あり、父なる神様と同等したお方ですが、自分を空(empty、から)、すなわち神性を完全にからにし、 完全な人間(Perfect Man, Perfect Humanity)に受肉されましたので(ピリピ 2:5~7)、自分を謙遜に 表現して「人の子」と称しています。
イエス様は父なる神様と本質的に同じであり、関係において も自ら謙遜に低くし、自分は父なる神様から遣わされてこの世に来られたと言われました(ヨハネ 8:42)。 イエス様は三位一体の神のうちに父なる神様より低いだと思われますが、実は父なる神様を敬い、 尊敬するためにこのような表現を使います。
4.ひとり子(Only Begotten Son)であるイエス様
聖書はイエス様を「ひとり子」(Only Begotten Son)だと表現しています(ヨハネ1:14,3:16、18;第 一ヨハネ 4:9)。「ひとり」(Only Begotten)はギリシャ語の「Monogenes、モノゲネス」で由来した言葉 です。 「Mono」というのは「ひとつ」という意味で「Genes」は種「species」という意味です。ギリシャ語 「Genes」は英語「gene」(DNA)と同じ語源(noot)を持っています。 「Monogenes」は文字的に「ただこの方たちだけ同じ種類」という意味です。この言葉を解釈すると 「ひとり」(Only Begotten Son)は父と子ども階級、質、量が同じの場合はこの方たちしかいませんと いうことです。言い換えますと、二つに人格(位、Person)でありながら同時に一人の神である存在 は、父なる神様と御子なる神様しかいないという意味です。この二人のお方は位(Person)だけ異 なり、本質的には同じである神様です。
「だれも天に上った者はいません。しかし天から下った者はいます。すなわち人の子です。」(ヨハ ネ 3:13) 「イエスは言われた。『神がもしあなたがたの父であるなら、あなたがたはわたしを愛するはずです。 なぜなら、わたしは神から出て来てここにいるからです。わたしは自分で来たのではなく、神がわた しを遣わしたのです』。」(ヨハネ 8:42) 「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来 られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。」(ヨハネ 1:14) 「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここ に、神の愛が私たちに示されたのです。」(第一ヨハネ 4:9)                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                           

【適用】父なる神様と御子なる神様との関係性をよく学び、三位一体の神様を正しく理解しましょう。
【お祈り】

2022年3月25日(金)のみことば

五分バイブルロードマップ 349 2022.3.25(金)
清水聖書教会 牧師 韓在國
聖書;創世記 3:15、ヨハネの福音書 3:16 「わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵 意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」 (創世記 3:15) 「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御 子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」 (ヨハネの福音書 3:16)
1.
2.神の御子(The Son of God)であるイエス様
聖書はイエス様を「神の御子」だと言いました(マタイ 3:17、16:16、17:5)。こ れは通常人間社会で意味するお父さんと息子の関係とは異なります。神の御 子だとする時、「御子、Son」はギリシャ語で「Huios、フイオス]と言いますが、こ の時、大文字「H」を書きます。これは「同じ the Same」と言い、父なる神様とイ エス様は「同一のお方」だという意味です。すなわち、このお方たちは位 (Person)だけが違い、他の階級、質、量などすべての面では違い点がないと いうことです。「神の御子」は、イエス様が「父なる神様と同じであるお方」という 意味で「イエス様の完全な神性、The Perfect Deity of Jesus」の表現です。
これと比べてローマ人への手紙 8 章 14 節では、異なる意味の「神の子ども」 が出ます。「神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子ども(sons of God)で す」。この時の「子ども、sons」というギリシャ語は「h」の「huios、フイオス」を使 います。これはイエス様を信じ救われたクリスチャンたちが神様の養子になっ たことを意味します。
私たちは神の御子イエス・キリストを信じ、神様の養子として神の子どもとな り、永遠の御国で生きる恵みと祝福が与えられました。
「また、天からこう告げる声が聞こえた。『これは、わたしの愛する子、わたしは これを喜ぶ。』」(マタイの福音書 3:17) 「シモン・ペテロが答えて言った。『あなたは、生ける神の御子キリストです。』」 (マタイの福音書 16:16) 「彼がまだ話している間に、見よ、光り輝く雲がその人々を包み、そして、雲の 中から、『これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。彼の言うことを聞き なさい」という声がした。』」(マタイの福音書 17:5)
【適用】神の子どもとなった救いの恵みを感謝し、主の御名を賛美しましょう。 【お祈り】

2022年3月24日(木)のみことば

五分バイブルロードマップ 348 2022.3.24(木)
清水聖書教会 牧師 韓在國
聖書;創世記 3:15、ヨハネの福音書 3:16 「わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を 置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」(創世記 3:15)「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御 子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨ ハネの福音書 3:16)
■父なる神様と御子イエス様との力動的な関係 三位の神様は力動的な(dynamic)神様です。この方たちは互いに愛で一つであり、 愛に基づいて互いに尊重し、証しし、互いに高く仰ぎ、互いに仕え、交わりする力動 的な姿を人間たちに見せてくださいます。特に、父なる神様と御子イエス様との力動 的な関係性はキリスト教教理の中で重要な部分です。この二人の関係を正しく学ば ないと聖書で神様が教えるみことばを理解することができません。
1. 父なる神様と一つであるイエス様 父なる神様と御子なる神様は一つです。イエス様はご自分に対してこのように証しし ています。「わたしと父とは一つ(Hen)です」(ヨハネの福音書 10:30)。ここで「一つ」 はギリシャ語で「HEN、ヘン」という単語を書きましたが、これは階級(position)と質 (quality)と量(quantity)が完全に同じであることを意味します。
聖書では他の意味の「一つ」があります。パウロはガラテヤ教会の聖徒たちに「ユ ダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男子も女子もありません。なぜなら、 あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって、一つ(Heis)だからです」(ガラテヤ人へ の手紙 3:28)。ここで「一つ」はギリシャ語で「HEIS、ヘイス」という単語を使いました。 これは法的に一つである意味です。それぞれ属性と姿が異なることです。
このように一つという「HEN、ヘン」と「HEIS、ヘイス」その意味が区別されます。イ エス様が父なる神様と一つ「Hen、ヘン」だ、と言われたのは、ご自身が父なる神様と 位(Person)は異なるが、本質的に完全に一つである、という意味です。

今、私たちは三位一体の神様(父なる神様、御子なるイエス様、聖霊なる神 様)について学んでいます。この三位一体の神様の学びは聖徒の柱であり、私 たちの背骨のような重要な内容です。正しい信仰を維持するためには、三位一 体の神様、特に救い主イエス・キリストについて明確に知る必要があります。 私たちの信仰の生活にも三位一体性、すなわち「霊性」、「聖書の知識」、「生 活中での経験」がとても大切です。これらのバラスがないと正しい信仰生活が できず、誤った不信仰陥るに危険性があります。
【適用】父なる神様と御子イエス・キリストの関係性をよく理解し、正しい聖書の 知識をもちましょう



2022年3月23日(水)のみことば

五分バイブルロードマップ 347 2022.3.23(水)
清水聖書教会 牧師 韓在國
聖書;創世記 3:15、ヨハネの福音書 3:16 「わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵 意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」 (創世記 3:15) 「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御 子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」 (ヨハネの福音書 3:16)
キリスト教の神様は唯一の神様で父なる神様、御子なる神様(イエス・キリス ト)、そして聖霊なる神様に区分します。唯一の神のうちに三つの位(Person) がおられる。このお方たちは相互に内住します。父なる神様のうちに御子なる 神様と聖霊なる神様が内住し、御子なる神様のうちに父なる神様と聖霊なる神 様が内住し、聖霊なる神様のうちに父なる神様と御子なる神様が内住します。 三位の神様は謙遜に互いに尊敬し、互いに仰ぎ、愛の関係を保ち、互いに交 わり(コイノニア)、互いに仕えます(ディアコニア)。 三位の神様は唯一の神として互いに統一性を保ちながら、また、機能的として は多様性をもっております。
三位の神様は機能的に「計画をする父なる神様(Planner)」、
「遂行する御子 なる神様(Executor)」、
「力を与える聖霊なる神様(Enabler)」です。
このお方た ちは共に働いて、決して一人で働きはしません。これが三位神様の協同性と統 一性です。例え、アダムの堕落の後、人類の救いのために三位神様が会議を 行いました。この時、父なる神様が議長役を担い、公式的な決定事項を告げ、 人間との関係でこの決定を直接遂行されたお方は御子なる神様(イエス・キリ スト)でした(創世記 3:15)。
そして聖霊なる神様は御子なる神様(イエス・キリス ト)が人類の救いの働きを遂行するように力を与えました。
父なる神様が議長役を担ったから他の二人の位(Person)より地位が高いと いう意味ではありません。父なる神様は機能的に議長役を担いました。三位の 神様は本質的に同じであり、力と権威、地位、品性、属性において同じのお方 です。三位の神様は互いに同等な決定権をもっておられ、これらの決定体制で 働きます。
キリスト教の神様は三位をもっておられる唯一の神様です。三位が相互内 住、相互交わり、相互仕えの模範を見せてくださり、多様性の中で共同と統一 性を見せてくださいます(unity in diversity)。私たちの理性では理解できない神 秘的な神様がキリスト教の三位一体の神様です。
皆さんと共に今週と来週にかけて私たちが信じる三位一体の神様はどんな お方であり、どのような人格的な関連性をもって、救いの働きをしておられるの かを学び、キリスト教の神様について正確に知っておきたいと願います。
【適用】今も三位一体の神様は私たちを見守ってくださっております。主の御名 を賛美しましょう。
【お祈り】

2022年3月22日(火)のみことば

五分バイブルロードマップ 346 2022.3.22(火)
清水聖書教会 牧師 韓在國
聖書;創世記 3:15、ヨハネの福音書 3:16 「わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を 置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」(創世記 3:15) 「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信 じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネの 福音書 3:16)
唯一の神を信じる人たちは共通点としてみんなアブラハムと関連があります。しか し、キリスト教の神様、ユダヤ教の神様、イスラム教のアラ神は同じように見えます が、この三つの宗教はみんな違います。イスラム教の神アラはマホメットが生まれる 前、サウジアラビアの地域で拝んでいたたくさんの神々のうち一つでした。「アラ」は その地域の人々が崇拝した「月の神(moon god)」でした。マホメットはアラ神を象徴 する「新月、三日月」を偶像化しました。月が新しく始まる三日月(crescent)を新しい 希望に導く自分たちの神として拝んだのです。すなわちイスラム教はキリスト教とユ ダヤ教と違って偶像を拝む宗教です。
反面、キリスト教と違ってユダヤ教は三位一体の神様を受け入れず、ただ父なる 神様だけを神様に認めます。彼らはイエス様を神の御子メシアとして信じませんでし た。ユダヤ教の指導者たちはイエス様が「神は、実に、そのひとり子をお与えになっ たほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永 遠のいのちを持つためである。」(ヨハネの福音書 3:16)、また「わたしと父とは一つで す。」(ヨハネの福音書 10:30)と言われたことを聞いて彼らはイエス様が自分たちの 神様を侮辱し、神の名前をみだりに唱えたと主張し、「神聖冒涜の罪」で十字架の上 で殺しました。
神様は創世記 3 章 15 節のみことばでアダムとエバに約束した通りに「女の子孫」 として、2000 年前にイエス・キリストはおとめマリヤより生まれ、私たちを救い、アブラ ハムの霊的な子孫にしてくださいます。

イスラム教、ユダヤ教、キリスト教の比較 
   
イスラム教
神・・・・・アラ
創始者 ・・・マホメット
聖徒・・・・ムスリム (アブラハムとハガルの息 子イシュマエルの子孫)
イエス様・・ 認めない

ユダヤ教
神・・・・・父なる神様
創始者・・・アブラハム
聖徒・・・・ユダヤ人(アブラハムとサラの息子イサクの子孫)
イエス様・・認めない

キリスト教
神・・・・・三位一体の神様(父なる神、御子なる神、聖霊)
創始者・・   イエス様
聖徒・・・・クリスチャン (アブラハムの霊的な子孫、契 約の子孫)
イエス様・・救いの唯一の道
   
     【適用】私を救うために御子イエス・キリスト送ってくださった神様に感謝の賛美を捧 げましょう。
【お祈り】

2022年3月18日(金)のみことば

五分バイブルロードマップ 345 2022.3.18(金)
清水聖書教会 牧師 韓在國
聖書;創世記 3:15、ヨハネの福音書 3:16 「わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼 は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」(創世記 3:15) 「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者 が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネの福音書 3:16)
世界の宗教は大きく二つに分かれています。多神教と唯一の神教です。多神教は沢山 の神々(偶像)を信じる教理に基盤を置いて、この世のほとんどの宗教がこの多神教に属し ています。多神教は数千年の間、バビロン宗教から派生し「サタンの子孫」を拝んで来た群 れです。この多神教には精霊崇拝思想(animism)を持っています。木、岩、植物、動物、 山、川などに神が存在してると信じます。特に、富士山は古来より、日本の自然崇拝、山岳 信仰を代表する山です。反面、唯一の神教は一つの神だけを信じて、キリスト教、ユダヤ 教、イスラム教がここに属しています。
現代に入ってからは精霊崇拝の観念が人間にも神が入っているという思想に発展してし ました。この思想をニューエイジ運動(New Age Movement)と言い、人間も神になれるとい う信仰に基礎して人間を神格化しています。1998 年、春の高校選抜野球大会と夏の甲子 園高校野球大会で優勝した横浜高校の松坂大輔投手に対して各スポーツ新聞では一面に 「怪物投手松坂神様、野球の神様」だと記しました。これも、人間を神に称するニューエイジ 思想の一つです。また、ニューエイジ運動家たちは、私たちが生きている世界、この宇宙自 体が、神だと信じます。この世のすべての物質は宇宙の一部分ですのですべての物が神 になれると信じます。彼らが主張する信仰の体系を汎神論と言います。

多神教と唯一の神教の比較

多神教(Polytheism)
信仰の対象・・たくさんの神
該当宗教(土俗宗教、シャマニズム、精霊崇拝、儒教、 道教、神道教、仏教、ゾロアスター教、 ヒンズー教、ニューエイジ運動など    )
 
唯一の神教(Monotheism)
信仰の対象・・ひとつの神 
 該当宗教(ユダヤ教、イスラム教、キリスト教)
         
神様は聖書で「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。あなた は、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるもので も、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。それらを拝んではな らない。それらに仕えてはならない。・・・」(出エジプト記 20:3~5)と言われました。
           
私たちが信じる創造主なる神様は救い主イエス・キリストをこの世に送ってくださった唯 一の神様です。このお方だけが生きておられる神様であり、永遠のいのちの神様です。
【適用】創造主なる唯一の神様を信じる信仰が与えられた恵みに感謝しましょう。 
お祈り】
             
 

2022年3月17日(木)のみことば

五分バイブルロードマップ 344 2022.3.17(木)
清水聖書教会 牧師 韓在國
聖書;創世記 3:15、ヨハネの福音書 3:16 「わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵 意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」 (創世記 3:15) 「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御 子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためであ る。」(ヨハネの福音書 3:16)
イエス様は弟子たちの前でイスカリオデ・ユダを悪魔(a devil)だと言われま した(ヨハネ 6:70~71)。このことが成し遂げるためにイスカリオデ・ユダの心に サタンが入り(ヨハネ 13:27)、イスカリオデ・ユダは銀銀貨 30 枚をもらってイエ ス様を祭司長たちに売りました(ゼカリヤ書 11:12、マタイ 26:15)。実際にイエ ス様が有罪判決を受けると彼は銀貨を神殿に投げ込んで、首をつって自殺し ました(マタイ 27:5)。
女の子孫(イエス・キリスト)がサタンの子孫(イスカリオデ・ユダ)の急所であ る頭を踏みにじりました。代わりにイエス様は十字架の上で両手足に釘を付け られ(マタイ 27:35)、神様が「・・・・おまえは、彼のかかとにかみつく」(創世記 3:15b)と言われた預言を成就されました。結局、イエス様は死人のうちより三 日目に甦られ、この戦いから勝利を勝ち取りました。
神様は、イエス様が人類の救いのために誰と戦わなければならないのかを 明確に知らせてくださいました。神様の預言通りに、イエス様はこの世に来ら れ、サタンと死、ユダ教の宗教指導者たちや異邦の神々と戦い、勝利を得まし た。それは、クリスチャンは最終的に天国に行きますが、この地上での私たち の信仰生活や未信者への伝道のためには、必ず、サタンとの戦いをしなけれ ばならないということを示しています。
「イエスは彼らに答えられた。『わたしがあなたがた十二人を選んだのではあ りませんか。しかしそのうちのひとりは悪魔です。』イエスはイスカリオテ・シモ ンの子ユダのことを言われたのであった。このユダは十二弟子のひとりであっ たが、イエスを売ろうとしていた。」(ヨハネ 6:70~71)、「彼がパン切れを受ける と、そのとき、サタンが彼に入った。そこで、イエスは彼に言われた。『あなたが しようとしていることを、今すぐしなさい。』」(ヨハネ 13:27)、「私は彼らに言っ た。『あなたがたがよいと思うなら、私に賃金を払いなさい。もし、そうでないな ら、やめなさい。」すると彼らは、私の賃金として、銀三十シェケルを量った。』」 (ゼカリヤ書 11:12)、「こう言った。「彼をあなたがたに売るとしたら、いったいい くらくれますか。」すると、彼らは銀貨三十枚を彼に支払った。」(マタイ 26:15) 「それで、彼は銀貨を神殿に投げ込んで立ち去った。そして、外に出て行って、 首をつった。」(マタイ 27:5)、「こうして、イエスを十字架につけてから、彼らはく じを引いて、イエスの着物を分け、」(マタイ 27:35)
【適用】イエス様がすでにサタンと死から勝利をし、その勝利を私たちに与えて くださったことに感謝しましょう。
【お祈り】

2022年3月16日(水)のみことば

五分バイブルロードマップ 343 2022.3.16(火)
清水聖書教会 牧師 韓在國
聖書;創世記 3:15、ヨハネの福音書 3:16 「わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵 意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」 (創世記 3:15) 「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御 子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためであ る。」(ヨハネの福音書 3:16)
人類の祖先アダムは、神様が禁じられたエデンの園にある善悪の知識の木の 実を食べると必ず死ぬ(創世記 2:16,17)と言われました。しかし、アダムとエ バはサタンの誘惑に負け、神様の命令を背いて、結局、実を食べ、堕落しまし た(創世記 3:5~6)。その後、神様は彼らに「「わたしは、おまえと女との間に、 また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏 み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」と言われました。このみことばは将 来、女の子孫(the Son of the Woman)とサタンの子孫(the seed of the Satan) の間に霊的な戦争が起こるのを予表しています。
創世記 3 章 15 節の預言は、聖書の中心となる背骨です。人間の体は背骨 から始まってすべての骨と神経組織が繋いでいきます。同じく、キリスト教のす べての教理と神学はこの創世記 3 章 15 節のみことばから形成されました。こ のみことばは人類に対する「神様の救いの大計画」(the Grand Plan of God’s Salvation)の発表です。この計画によると将来イエス様は「女の子孫」(the Seed)としてこの世に来られ(マタイ 1:18、ガラテヤ 4:4)、サタンの子孫(a seed)との霊的な対決で勝利を得ます。
この預言はそのまま成就され、神様は救い主イエス・キリストを遣わされ(キ リストの受肉)(ヨハネ 3:16)、イエス様はサタンの子孫であるイスカリオデ・ユダ を 12 弟子の一人として選びました(ヨハネ 6:70~71)。 このように人類の救いのための霊的な戦いはエデンの園からはじまりました。
「イエス・キリストの誕生は次のようであった。その母マリヤはヨセフの妻と決ま っていたが、ふたりがまだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重になっ たことがわかった。」(マタイの福音書 1:18) 「しかし定めの時が来たので、神はご自分の御子を遣わし、この方を、女から 生まれた者、また律法の下にある者となさいました。」(ガラテヤ人への手紙 4:4)
「イエスは彼らに答えられた。「わたしがあなたがた十二人を選んだのではあ りませんか。しかしそのうちのひとりは悪魔です。イエスはイスカリオテ・シモン の子ユダのことを言われたのであった。このユダは十二弟子のひとりであった が、イエスを売ろうとしていた。」(ヨハネの福音書 6:70~71)
【適用】私たちも霊的な戦いから勝利する時、未信者を救いに導き、伝道の実 を実ります。
【お祈り】

2022年3月5日(土)のみことば

五分バイブルロードマップ 342 2022.3.5(土)
清水聖書教会 牧師 韓在國
■教会とは何か。
7.教会に仕える人たち 「キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働 く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、 結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。」(エペソ人への手紙 4:16)
3)聖徒(教会員)の五つの義務 聖徒は聖霊によって証印された者です。「私たちをあなたがたといっしょにキリ ストのうちに堅く保ち、私たちに油をそそがれた方は神です。神はまた、確認の 印を私たちに押し、保証として、御霊を私たちの心に与えてくださいました」(第 二コリント 1:21~22)。神様は聖徒が守るべき五つの義務を教えています。
5 十分の一の献金を捧げる。 十分の一の献金とは自分の収入の十分の一を神様に捧げることで聖書は、十 分の一は神様のものだと言われました。十分の一はイエス様を信じ、信仰生 活をするクリスチャンが物質より神様をもっと愛するという告白の表現であり、 今までこの世に向かって生きて来た心を神様に立ち返る証しです。十分の一 は神様のものを神様に返すということです。「人は神のものを盗むことができよ うか。ところが、あなたがたはわたしのものを盗んでいる。しかも、あなたがた は言う。『どのようにして、私たちはあなたのものを盗んだでしょうか。』それは、 十分の一と奉納物によってである。」(マラキ書 3:8)
ですから、クリスチャンは誰であれ、必ず十分の一を神様に捧げなければな りません。これは信仰生活の基本の中の基本です。神様は神様のものを神様 に捧げる者に祝福を与えると言われます。 「十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。こうし てわたしをためしてみよ。──万軍の主は仰せられる──わたしがあなたがた のために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうか をためしてみよ。」(マラキ書 3:10)
神様はお金がないから私たちに十分の一の献金を捧げなさいというのでは ありません。神様は宇宙万物すべてのものを持っておられるお方です。私たち の父なる神様は世界一の金持ちです。神様は十分の一の献金を捧げる私た ちにこの世の肉的な祝福と霊的な祝福をたくさん与えると約束されました。十 分の一を神様に捧げ、心を神様に向かい神様に祝福を受ける人生を営みまし ょう。
【適用】神様に十分の一を捧げ神様から溢れる祝福を頂きましょう。 【お祈り】

2022年3月3日(木)のみことば

五分バイブルロードマップ 341 2022.3.3(木)
清水聖書教会 牧師 韓在國
■教会とは何か。
7.教会に仕える人たち 「キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働 く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、 結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。」(エペソ人への手紙 4:16)
3)聖徒(教会員)の五つの義務 聖徒は聖霊によって証印された者です。「私たちをあなたがたといっしょにキリ ストのうちに堅く保ち、私たちに油をそそがれた方は神です。神はまた、確認の 印を私たちに押し、保証として、御霊を私たちの心に与えてくださいました」(第 二コリント 1:21~22)。神様は聖徒が守るべき五つの義務を教えています。
4 お祈りをする 祈りは神様との交わりです。祈りは霊的な呼吸で、祈らない霊魂は力を失い
ます。私の霊魂は神様と交わりがある時、強くなります。神様に祈らないのは 罪を犯すことだと言われました。 「私は主を愛する。主は私の声、私の願いを聞いてくださるから。主は、私に耳 を傾けられるので、私は生きるかぎり主を呼び求めよう。」(詩篇 116:1~2) 「私もまた、あなたがたのために祈るのをやめて主に罪を犯すことなど、とても できない。私はあなたがたに、よい正しい道を教えよう。」(サムエル記第一 12:23)
祈りは何かが必要な時だけすることではありません。祈りのもっと高い目的 は聖霊様と深くて親しい交わりです。私たちがイエス様と交わりにもっと専念す ると常に聖霊様と共に歩み、生活することができます。祈りは信仰のうちでみこ とばを通して、聖霊によって神様に近づく権利であり、私たちに与えられた特権 です。「いつでも祈るべきであり、失望してはならないことを教えるために、イエ スは彼らにたとえを話された。」(ルカの福音書 18:1)
イエス様もお祈りをするのを休まず続けおりました。イエス様はご自分の名 前で求めるものは全部与えてくださる、と言われました。信仰の力は祈りによる ものだとイエス様は言われました。
「またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それ をしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。あなたがたが、わ たしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。」(ヨハ ネの福音書 14:13~14)
神様は私たちにイエス様のお名前で祈りができ、祈る者には神様が相応し いものを与え、応えてくださいます。祈りは神様の約束を信じる信仰によって始 まることで絶えず求める祈りによって神様の約束が成就されるのを経験しま す。
【適用】いつも祈りを通して神様と交わり、神様から答えを頂きましょう。 【お祈り】

2022年3月2日(水)のみことば

五分バイブルロードマップ 340 2022.3.2(水)
清水聖書教会 牧師 韓在國
■教会とは何か。
7.教会に仕える人たち 「キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働 く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、 結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。」(エペソ人への手紙 4:16)
3)聖徒(教会員)の五つの義務 聖徒は聖霊によって証印された者です。「私たちをあなたがたといっしょにキリ ストのうちに堅く保ち、私たちに油をそそがれた方は神です。神はまた、確認の 印を私たちに押し、保証として、御霊を私たちの心に与えてくださいました」(第 二コリント 1:21~22)。神様は聖徒が守るべき五つの義務を教えています。
3 伝道する 伝道はイエス・キリストの命令です。神様のいのちを伝えることです。伝道は
イエス様の命令に従順することであり、イエス様を信じない者たちの霊魂を生 かすことです。聖書は、一番大きいな愛は、神様から離れ、地獄に行きべき家 族、友人、同僚、隣人にイエス様を伝え、彼らの霊魂が救われることだと言わ れました。イエス様もこのことのために来られたと言われました。「イエスは彼ら に言われた。「さあ、近くの別の村里へ行こう。そこにも福音を知らせよう。わた しは、そのために出て来たのだから。」(マルコの福音書 1:38)
イエス様はすべての人が救われるのを願い、この救いの使命をクリスチャン たちに頼みました。イエス様は、一人の人が悔い改めてイエスを信じ、神様の ところに帰って来る時、一番喜んでおります。 「あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるな ら、神の御使いたちに喜びがわき起こるのです。」」(ルカの福音書 15:10)、「神 は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。」 (テモテへの手紙第一 2:4)
伝道はイエス・キリストの復活を伝えることです。イエス・キリストは私たちの 罪のために十字架の上で死に、三日目に死人のうちより甦り、私たちに永遠の いのちを与えてくださった創造主なる神の御子であり、救い主であることを伝え ることです。「しかし、これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストで あることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御 名によっていのちを得るためである」(ヨハネの福音書 20:31)。
【適用】不信仰者たちの霊魂を憐れみ、彼らの救いのためにイエス様を伝える クリスチャンになりましょう。
【お祈り】

2022年3月1日(火)のみことば

五分バイブルロードマップ 339 2022.3.1(火)
清水聖書教会 牧師 韓在國
■教会とは何か。
7.教会に仕える人たち 「キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働 く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、 結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。」(エペソ人への手紙 4:16)
3)聖徒(教会員)の五つの義務 聖徒は聖霊によって証印された者です。「私たちをあなたがたといっしょにキリ ストのうちに堅く保ち、私たちに油をそそがれた方は神です。神はまた、確認の 印を私たちに押し、保証として、御霊を私たちの心に与えてくださいました」(第 二コリント 1:21~22)。神様は聖徒が守るべき五つの義務を教えています。
2 毎日聖書を読む 聖書は聖霊によって感動された者たちによって記録された神様のみことばで
す。聖書は神様の保障を確実に信じ、認めるべき神のことばです。したがって、 聖書のみことばに権威を与え、認め、敬虔な心を持たなければなりません。聖 書は神様とイエス・キリスト、そして、聖霊に対して私たちに一番正確に教えて くださいます。そして、私に向かう神様の驚くばかりの計画があります。これは 誰もが知ってるいるものではなく、聖書を読み、聞き、研究、黙想する者だけが 体験することです。信仰というのは聖書を神様のみことばとして認め、聖書を読 んでいることからはじまります。
「あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べて います。その聖書が、わたしについて証言しているのです」(ヨハネの福音書 5:39)。
聖書は一般の書籍のようなただの書物ではありません。聖書は神のみこと ばですので、聖書の中にイエス・キリストの永遠のいのちがあります。
「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練との ために有益です」(テモテへの手紙第二テ 3:16)。「神のことばは生きていて、 力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺 し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。」(へブル 人への手紙 4:12)
聖書は著者たちの知識や経験によって書かれたのではなく、神様が聖霊を 通して著者たちを用いて書かれた神様の真理のみことばです。ですから聖書 の著者は神様です。 「兄弟たちは、すぐさま、夜のうちにパウロとシラスをベレヤへ送り出した。ふた りはそこに着くと、ユダヤ人の会堂に入って行った。ここのユダヤ人は、テサロ ニケにいる者たちよりも良い人たちで、非常に熱心にみことばを聞き、はたして そのとおりかどうかと毎日聖書を調べた」(使徒の働き 17:10、11)。
このように、神様は聖書のみことばを熱心に読み、聞き、研究し、黙想する 者と出会ったくださり、ご自分の計画を教えてくださいます。
【適用】いのちがある聖書のみことばを通して神様の御声を聞き、神様と出会う 真の聖徒になりましょう。
【お祈り】

2022年2月25日(金)のみことば

五分バイブルロードマップ 338 2022.2.25(土)
清水聖書教会 牧師 韓在國
■教会とは何か。
7.教会に仕える人たち 「キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働 く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、 結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。」(エペソ人への手紙 4:16)
1)聖徒(教会員)の五つの義務 聖徒は聖霊によって証印された者です。「私たちをあなたがたといっしょにキリ ストのうちに堅く保ち、私たちに油をそそがれた方は神です。神はまた、確認の 印を私たちに押し、保証として、御霊を私たちの心に与えてくださいました」(第 二コリント 1:21~22)。神様は聖徒が守るべき五つの義務を教えています。
1 主日を守る
主日を守るということは礼拝生活の基本です。主日というのは「主の日、イエ ス・キリストの日」として、イエス様が私たちの罪を背負って十字架の上で死ん でくださり、死人のうちより三日目に甦られた日です。 「さて、週の初めの日に、マグダラのマリヤは、朝早くまだ暗いうちに墓に来た。 そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。・・・・・彼女はこう言ってから、うし ろを振り向いた。すると、イエスが立っておられるのを見た。しかし、彼女にはイ エスであることがわからなかった。イエスは彼女に言われた。『マリヤ。』彼女は 振り向いて、ヘブル語で、『ラボニ(すなわち、先生)』とイエスに言った。」(ヨハ ネの福音書 20:1~)。イエス様が復活された日の朝、お墓の前でイエス様とマ リヤとの会話です。イエス様は死んだままずっとお墓の中に安置されたのでは なく、死を破り、死から勝利し、甦られました。
以前、イエス様が福音伝道をする時、ヨハネの福音書 11 章 1 節以下で、ベ タニヤの町に住んでいるラザロが病気で亡くなった時、マルタに「あなたの兄弟 はよみがえります」(23 節)。それから 25 節で 「イエスは言われた。『わたし は、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるので す。』」と言われました。イエス様はご自分は必ず、甦り、また、クリスチャンには 永遠に生きる復活の命を与える、と約束されました。ですから、聖徒は今、生き ている間に、神様からイエス様の復活の命を頂いて、天国への希望を抱いて 生活をする権限と恵みと希望が与えられました。
死人のうちから甦られたイエス様は、ユダヤ人たちを恐れ、隠れている弟子 たちに現れ、平安を与えました。「その日、すなわち週の初めの日の夕方のこ とであった。弟子たちがいた所では、ユダヤ人を恐れて戸がしめてあったが、イ エスが来られ、彼らの中に立って言われた。『平安があなたがたにあるよう に。』」(ヨハネの福音書 20:19)
今、私たちはコロナ禍によって礼拝堂やオンラインを通して神様に主日礼拝 を捧げることによって一週間の生活が始まります。神様に礼拝するのはクリス チャンが守るべき一番大切な信仰の義務であり、姿勢です。神様は私たちに 主日礼拝を通してたくさんの恵みを与えられます。イエス・キリストの復活を祝 う喜びを与えます。イエス様と霊的な交わりを保ちます。神様と和解をし、すべ ての罪が赦されます。神のみことばを聞き、天の御国の糧を頂きます。神様か ら天の御国の霊的な祝福を頂きます。一週間の初めの日から勝利の生活が 始まり、保障されます。
【適用】聖霊によって証印された聖徒として霊とまことをもって神様に主日礼拝 を捧げましょう。
【お祈り】

2022年2月24日(木)のみことば

五分バイブルロードマップ 337 2022.2.24(木)
清水聖書教会 牧師 韓在國
聖書;ローマ人への手紙4:12-13 題;『世界の相続人の資格2』 「また割礼のある者の父となるためです。すなわち、割礼を受けているだけで はなく、私たちの父アブラハムが無割礼のときに持った信仰の足跡に従って 歩む者の父となるためです。というのは、世界の相続人となるという約束が、 アブラハムに、あるいはまた、その子孫に与えられたのは、律法によってでは なく、信仰の義によったからです。」
神様から言われた「世界の相続人の資格」は何ですか。律法の行いではな く、信仰です。
では、どんな信仰が必要でしょうか。相続の根拠と資格は私(人間)にある ものではない、という信仰です。相続人の資格はユダヤ人たちのようにアブラ ハムの子孫であり、律法を守り、正しい生活を行うことではありません。相続 を受ける者は、イエス・キリストを信じる信仰をもって「私は罪人です」と告白 する謙遜な者に相続の資格が与えられます。相続権は私たち(人間)の権限 ではなく、神様の絶対的な権限です。神様の絶対的は選択です。私たちの父 である神様から相続は与えられます。私たちは主の祈りにも「天にますます われらの父よ。」、また、使徒信条にも「われは天地の造り主、全能の父なる 神を信ず」と信仰告白をします。
資産相続のためには家族関係を確かめるため戸籍謄本が要ります。同じく 神様は聖書を通して、私たちの国籍や神の子どもであることを明確に証明し てくださいます。「けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・ キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます」(ピリ ピ人への手紙 3:20)。「イエスは彼女に言われた。・・・・・わたしの兄弟たちの ところに行って、彼らに『わたしは、わたしの父またあなたがたの父、わたしの 神またあなたがたの神のもとに上る』と告げなさい」(ヨハネの福音書 20:17b)。
ですから神様は私たちに「・・・・神の相続人であり、キリストとの共同相続 人であります」(ローマ人への手紙 8:17)と、世界の相続人や天国の相続人 の資格がある、と明確に約束されました。このみことばは永遠に変わらない 神様の約束です。私たちの父なる神様は地球の森羅万象だけでなく、宇宙の 天体系、天の御国をイエス様と共同相続人として私たちに与えてくださいまし た。それで神様はただ私たちが神の相続人として主の御名を賛美しながら、 すべてのものを享受するように望んでおります。
ですから、クリスチャンは世界最高の金持ちです。この世界でお金や株、土 地などをたくさん持っている人が金持ちではなく、イエス・キリストとともに相続 人となって、この世界と天国の相続人の資格をもっている私たちが世界の一 番金持ちです。なぜなら、創造主なる神様が私たちのお父さんでおられるか らです。
【適用】この世界と天国の相続人として私を選び、相続人の資格を与えてくだ さった神様に感謝しましょう。
【お祈り】

2022年2月22日(火)のみことば

五分バイブルロードマップ 336 2022.2.22(火)
清水聖書教会 牧師 韓在國 聖書;ローマ人への手紙4:12-13 題;『世界の相続人の資格1』
「また割礼のある者の父となるためです。すなわち、割礼を受けているだけで はなく、私たちの父アブラハムが無割礼のときに持った信仰の足跡に従って 歩む者の父となるためです。というのは、世界の相続人となるという約束が、 アブラハムに、あるいはまた、その子孫に与えられたのは、律法によってでは なく、信仰の義によったからです。」
神様は今日の本文で、世界の相続人となるのは律法の行いではなく、信 仰の義によることだと言います。どうやって割礼を受けず、律法を守れず、偶 像を拝んできた異邦人のクリスチャンたちが、神様が約束された世界の相続 人になれますか。この世のすべての宗教には共通点があります。信仰生活を 熱心にし、善い行いをするとこの世での報いが与えられ、来世にも祝福を受 けると信じることです。
今、ローマ教会の大きいな問題は「相続の問題」です。ユダヤ人クリスチャ ンたちは、自分たちは祖先により神様から相続が保障されましたが、しかし、 異教の神々を崇拝して来た異邦人クリスチャンたちは相続を受ける資格は一 つもないと無視します。なぜなら、異邦人クリスチャンたちは、律法を守ったこ ともなく、善の行いをしたこともありませんでした。そのため、彼らはいつも罪 悪感をもって、救いの喜びと感謝を持たず、礼拝をささげています。また、ユ ダヤ人たちから常に「あなただちは信仰生活をしても神様から相続を受け取 る資格がないよ」と聞いて、絶望と落胆を繰り返しています。
このように、絶望の中に落ち込んでいる異邦人クリスチャンたちに、パウロ から驚くばかりのビッグニュースの手紙が届きました。今日の本文 13 節のみ ことばを一緒に読みましょう。「というのは、世界の相続人となるという約束が、 アブラハムに、あるいはまた、その子孫に与えられたのは、律法によってでは なく、信仰の義によったからです。」
神様は「世界の相続人の資格」を受けるためには、アブラハムの子孫、割 礼、律法の行いではなく、ただ、信仰だけあれば、世界の相続人になるという 約束でした。神様は聖書で 「もし子どもであるなら、相続人でもあります。私 たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私た ちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。」(ローマ人への 手紙 8:17)と、イエス・キリストを信じ、神様の子どもとなると、イエス様と共同 の相続人となると明確に約束してくださいました。
今日、私たちが神様の子どもとなり、世界の相続人の資格が与えられ、イ エス様と共同の相続人となったきっかけは何でしょうか。ただ、イエス様が私 を救うために私の罪を背負って十字架の上で死んでくださった、と信じる信仰 だけです。
【適用】私にイエス様と世界の相続を与えてくださった神様に感謝し、主の御 名を賛美しましょう。
【お祈り】

2022年2月18日(金)のみことば

五分バイブルロードマップ 335 2022.2.18(金)
清水聖書教会 牧師 韓在國
■教会とは何か。
2)役員(執事)の務め 「執事もまたこういう人でなければなりません。謹厳で、二枚舌を使わず、大 酒飲みでなく、不正な利をむさぼらず、きよい良心をもって信仰の奥義を保っ ている人です。まず審査を受けさせなさい。そして、非難される点がなければ、 執事の職につかせなさい。婦人執事も、威厳があり、悪口を言わず、自分を 制し、すべてに忠実な人でなければなりません。執事は、ひとりの妻の夫であ って、子どもと家庭をよく治める人でなければなりません。というのは、執事の 務めをりっぱに果たした人は、良い地歩を占め、また、キリスト・イエスを信じ る信仰について強い確信を持つことができるからです。」(テモテ人への手紙 第一 3:8~13)
教会の役員(執事)は、教会が健全に成長するために、最も重要な「仕える 役割」を果たすものであります。教会に仕える役員にとって最も大切なことは、 健全な教会観を聖書から学び、正しく理解することです。「教会とは何か」が 明確になっていなければ、その奉仕を十分に果たすことはできません。役員 が自分の考えや経験で教会の運営をしようとすれば、健全な教会形成はなさ れません。また、教会の役員は、教会のかしらである主イエス・キリストが教 会に命じられた「宣教の使命」を明確に知る必要があります。そうでないと、目 先の事務処理だけの役員会となってしまいます。
初代教会の役員(執事)は以下の三つの資質を見ることができます。 1 御霊に満ちた人です。
信仰の幼子ではなく、成熟した信徒です。教会は、肉の力ではなく、御霊
の力がなければ、神の事業を進めることはできなからです。 2 知恵に満ちた人です。
これは、神のみことばを知っているという意味での知恵であります。聖書を 単に知的によく知っているというだけでなく、信仰と思想が一つになってい ることであります。問題を実際に処理するにあたって、教会の徳を高め、配 慮できる、人格と知性を備えた人です。
3 評判の良い人です。 教会の中だけでなく、家庭においても、社会においても、評判が良い人で あります。「また、教会外の人々にも評判の良い人でなければいけません。 そしりを受け、悪魔のわなに陥らないためです」(第一テモテ 3:7)。
評判の良い人とは、良きあかしをし、信仰と人格が教会内にも、社会に も認められている人のことです。
【適用】役員(執事)は神様が牧師の牧会と教会形成の働きを助け、健全な教 会を建て上げるために神様から任命された人です。役員の働きのために励ま し、助け合い、お祈りをしましょう。
【お祈り】

2022年2月17日(木)のみことば

五分バイブルロードマップ 334 2022.2.17(木)
清水聖書教会 牧師 韓在國
■教会とは何か。
7.教会に仕える人たち 「キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく 働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わ され、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。」(エペソ人へ の手紙 4:16)
1)牧師の務め イエス・キリストは信者たちを主にあって指導し、訓戒するために牧師を任命 し、それぞれの教会に立てられました。すなわち牧師の権威は全く主による のであって、人間的な権威によるのではないのです。私たちの大牧者である 主イエス・キリストは、「私の教会を建てる」と宣言され、教会の中に、牧師を 立てて、群れを導く務めを与えられました。牧師の務めは、祈りをもって、聖書 の真理を教え、聖礼典をつかさどることにあります。
1 牧師は神様から送られた者です。 「こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道 者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。それは、聖徒たち を整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、つい に、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完 全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。」 (エペソ 4:11~13)
2 聖書は牧師も弱くて不完全な存在だと言われます。 「兄弟たち、あなたがたの召しのことを考えてごらんなさい。この世の知者は 多くはなく、権力者も多くはなく、身分の高い者も多くはありません。しかし神 は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者を はずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。」(第一コリント 1: 26~27)
3 不完全な存在ですが、迎え入れ、尊敬し、従順しなければなりません。 「兄弟たちよ。あなたがたにお願いします。あなたがたの間で労苦し、主にあ ってあなたがたを指導し、訓戒している人々を認めなさい。その務めのゆえに、 愛をもって深い尊敬を払いなさい。お互いの間に平和を保ちなさい。」(第一テ サロニケ 5:12~13)「あなたがたを受け入れる者は、わたしを受け入れるので す。また、わたしを受け入れる者は、わたしを遣わした方を受け入れるので す。」(マタイの福音書 10:40) 「あなたがたの指導者たちの言うことを聞き、また服従しなさい。この人々は 神に弁明する者であって、あなたがたのたましいのために見張りをしているの です。ですから、この人たちが喜んでそのことをし、嘆いてすることにならない ようにしなさい。そうでないと、あなたがたの益にならないからです。」(ヘブル 人への手紙 13:17)
このように牧師は自分の意志でもなく、人間の推薦でもなく、神様が召し、 神様から任された働きをする者です。
【適用】主が立てられ、送られた牧師を愛し、牧師の働きのために励まし、助 け、祈りましょう。
【お祈り】

2022年2月16日(水)のみことば

五分バイブルロードマップ 333 2022.2.16(水)
清水聖書教会 牧師 韓在國 聖書;ローマ人への手紙4:9-11 題;『義人のカットライン2』
「それでは、この幸いは、割礼のある者にだけ与えられるのでしょうか。それと も、割礼のない者にも与えられるのでしょうか。私たちは、「アブラハムには、 その信仰が義とみなされた」と言っていますが、どのようにして、その信仰が 義とみなされたのでしょうか。・・・彼は、割礼を受けていないとき信仰によって 義と認められたことの証印として、割礼というしるしを受けたのです。それは、 彼が、割礼を受けないままで信じて義と認められるすべての人の父となり、」
初代教会の割礼の問題はローマ教会だけでなく、ピリピ教会やガラテヤ教 会の中でもユダヤ人クリスチャンと異邦人クリスチャンの中で衝突の原因とな りました。神様は、アブラハムが 75 歳の時、彼に現われ、彼が住んでいる所 から導き出し、契約を結びました。86 歳の時、彼の信仰によって義と認めれま した。この時はまだ、アブラハムは割礼を受けていなかったのです。それから、 13 年後、彼が 99 歳の時、神様は割礼を行うように命令されました。
ユダヤ人たちの割礼は男の子が生まれて八日になると陰茎包皮を切開す る儀式です。彼らはその儀式を通して、アブラハムの子孫となり、神様から義 と認められ、清い者となったと信じています。
神様はアブラハムを義と認められたのは彼が素晴らしい信仰生活をした時 でもなく、割礼を受けた後でもありません。神様はアブラハムが偶像を拝んで いる時彼に現われ、それから 13 年後、義と認めってくださいました。アブラハ ムの義人のカットラインは割礼ではなく信仰でした。
では、神様が私たちの救いをいつ計画し、何によって義と認めてくださいま したか。「すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前から彼にあって選び、 御前で聖く、傷のない者にしようとされました」(エペソ 1:4)。私たちが生まれる 前からです。「けれども、生まれたときから私を選び分け、恵みをもって召して くださった方が、」(ガラテヤ 1:15 節)。神様は私たちが生まれた時からイエス・ キリストを信じる時までずっと導いてくださいました。私たちにあらゆる環境や 出来事を通してイエスを信じる信仰を与え、私たちの信仰告白を通して義と認 めてくださいました。そして、その証印として洗礼を受ける恵みを与えてくださ いました。
洗礼という意味は、「私はイエス・キリストと十字架の上で共に死に、私たち の罪が全部赦され、そして、イエス様と共に三日目に死人のうちより、甦られ ました」と、信じる信仰の印です。
神様は私が過去、どんな宗教をもち、偶像を拝んだか、過去、どんな罪を 犯したのかは問われません。過去、現在、未来の罪を全部赦してくださり、義 と認めてくださいました。私たちは信仰によって義と認められ、義人のカットラ インに合格し、義人の印として洗礼を受ける恵みが与えられました。
【適用】神様が私の罪を赦し、義と認め、洗礼にまで導いてくださった神様の 救いの恵みに感謝しましょう。
【お祈り】

2022年2月15日(火)のみことば

五分バイブルロードマップ 332 2022.2.15(火)
清水聖書教会 牧師 韓在國 聖書;ローマ人への手紙4:9-11 題;『義人のカットライン1』
「それでは、この幸いは、割礼のある者にだけ与えられるのでしょうか。それと も、割礼のない者にも与えられるのでしょうか。私たちは、「アブラハムには、 その信仰が義とみなされた」と言っていますが、どのようにして、その信仰が 義とみなされたのでしょうか。割礼を受けてからでしょうか。まだ割礼を受けて いないときにでしょうか。割礼を受けてからではなく、割礼を受けていないとき にです。彼は、割礼を受けていないとき信仰によって義と認められたことの証 印として、割礼というしるしを受けたのです。それは、彼が、割礼を受けないま まで信じて義と認められるすべての人の父となり、」
ローマ教会にはユダ教から改宗したユダヤ人クリスチャンたちと異教から 改宗した異邦人クリスチャンたちがいます。彼らの中ではいつも「割礼」という 問題で衝突が生じました。ユダヤ人クリスチャンたちは、生まれて八日になっ て男の子はみんな割礼を受けました。反面、異邦人クリスチャンたちは、以前、 異教の神々を拝んだ者たちでした。割礼を受けたことはありません。イエスを 信じたばかりの異邦人クリスチャンたちは以前の偶像崇拝からの生活習慣を すぐ切り離すことができませんでした。
ユダヤ人たちの救いの概念は二つあります。一つは、アブラハムの系図で 生まれる事、もう一つは、割礼を行うなど律法を守ることです。しかし、異邦人 クリスチャンたちの祖先は異教の神々を拝んだ者で、彼らは律法も知らず、 一度も律法を守ったこともありません。
異邦人クリスチャンたちはユダヤ人クリスチャンたちが私たちの神は全知 全能の神、創造主なる唯一の神です、と話しをすると異邦人クリスチャンたち はギリシャ神話のゼウスの神を思い出します。巨人ネフィリムを話しをすると 彼らはギリシャ神話の英雄ヘラクレスを思い出します。これが現在、ローマ教 会に出席する異邦人クリスチャンたちの信仰の状態です。彼らは、自分たち は過去、汚れた者、神様に背いた者、偶像を拝んだもの、割礼を受けなかっ た者だったと話ながら、罪の意識をもって、信仰生活をしています。
過去、偶像を拝んだので、神様から罰を受けるのではないのか。神様は本 当に私の過去の罪を赦してくださるのか。いつも罪悪感をもって、信仰の自由 と喜びを失い、不安と苦しみと罪の圧迫の中で、信仰生活しています。パウロ は彼らに神様から義と認められ、義人になるカットラインは「割礼」ではなく、 「信仰」だという福音の真理を教えています。
このように、神様が私たちを義と認められ、救いに導いてくださったのは、 「洗礼」を受けたからではなく、その前の、イエスを救い主として信じた時です。 洗礼はクリスチャンになったという証しとして神様と教会員皆の前で行われる 儀式の印です。
【適用】神様が私の過去の全ての罪を赦し、義人のカットラインに合格する信 仰を与えくださったことに感謝し、毎日喜びに満ち溢れる生活を行いましょう。
【お祈り】

2022年2月4日(金)のみことば

五分バイブルロードマップ 331 2022.2.4(金)
清水聖書教会 牧師 韓在國
■教会とは何か。 6.教会の儀式(礼典)
イエス様は、十字架の死の前、最後の過ぎ越しの祭りの時、弟子たちと過 ぎ越しの食事をする時、これから聖徒たちがパンとぶどう酒をもって守るべき 聖餐の儀式(礼典)を永遠の礼典として定めてくださいました。「それから、パ ンを取り、感謝をささげてから、裂いて、弟子たちに与えて言われた。『これは、 あなたがたのために与える、わたしのからだです。わたしを覚えてこれを行い なさい。』食事の後、杯も同じようにして言われた。『この杯は、あなたがたの ために流されるわたしの血による新しい契約です。』」(ルカの福音書 22:19、 20)。ですから、神の家族の群れに入るためには必ず、洗礼を受けること、そ して洗礼を受け、クリスチャンになった教会員たちは必ず聖餐式を執り行うべ きである、ことを示しています。
3)聖餐の儀式(礼典)の重要な意味は何か。
パウロは 「ですから、あなたがたは、このパンを食べ、この杯を飲むたび
に、主が来られるまで、主の死を告げ知らせるのです。」(第一コリント 11:26) と語りました。これは、聖餐の儀式(礼典)に対して、イエス様が再び来られる 時までという時間的な制限を置きました。イエス様はご自分のからだと血潮の 象徴としてパンとぶどう酒をご自分の死の記念物としました。
イエス様はパンは裂かれるご自分のからだを示していると宣言しました。イエ ス・キリストは砕かれた骨はなかったが、とても酷い拷問を受け、からだの形体 を見分けることができませんでした。
「まことに、彼は私たちの病を負い、・・・罰せられ、神に打たれ、苦しめられ たのだ。彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために 砕かれた。彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。・・・主は、私たちのす べての咎を彼に負わせた。彼は痛めつけられた・・・」(イザヤ書 53:4-7)。ぶ どう酒はイエス様の血潮を象徴することで、イエス様の惨い死を示しています。 イエス・キリストは旧約聖書の預言を成就なさいました(創世記 3:15、詩篇 22 章、イザヤ書 53 章)。
イエス様が「わたしを覚えてこれを行いなさい。」と言われたのは、将来、続 けて行うべき儀式(礼典)であることを示しております。過越の時、小羊を犠牲 としてイスラエルの民の罪が赦されたのと同じく、私たちも聖餐の儀式(礼典) を通して、イエス様が私の罪を背負って十字架の上で死なれ、私の罪が全部 赦されました、と信じ、イエス様の十字架の出来事を覚え、記念し、祝うように 教えています。
【適用】聖餐の儀式(礼典)に導いてくださり、罪の赦しと恵みを与えてくださる 神様に感謝しましょう。
【お祈り】

2022年2月3日(木)のみことば

五分バイブルロードマップ 330 2022.2.3(木)
清水聖書教会 牧師 韓在國
■教会とは何か。 6.教会の儀式(礼典)
イエス様は、十字架の死の前、最後の過ぎ越しの祭りの時、弟子たちと過 ぎ越しの食事をする時、これから聖徒たちがパンとぶどう酒をもって守るべき 聖餐の儀式(礼典)を永遠の礼典として定めてくださいました。「それから、パ ンを取り、感謝をささげてから、裂いて、弟子たちに与えて言われた。『これ は、あなたがたのために与える、わたしのからだです。わたしを覚えてこれを 行いなさい。』食事の後、杯も同じようにして言われた。『この杯は、あなたが たのために流されるわたしの血による新しい契約です。』」(ルカの福音書 22:19、20)。ですから、神の家族の群れに入るためには必ず、洗礼を受ける こと、そして洗礼を受け、クリスチャンになった教会員たちは必ず聖餐式を執 り行うべきである、ことを示しています。
3)聖餐の儀式(礼典)の重要な意味は何か。 宗教改革者ジョン・カルヴァンは聖餐の儀式(礼典)について「私たちの霊
的な部分が聖餐の儀式(礼典)に参加することによって天の御国に上がる課 程であり、また、天の御国の神様も同じく霊的な部分において私たちとお会い する課程である。」と語っていました。聖餐に参加するクリスチャンはイエス・ キリストにあってひとつのからだの各器官です。聖餐の儀式(礼典)を通して 私のうちにおられる聖霊と天の御国の神様と交流していることを覚えなけれ ばなりません。
聖餐は神様が四福音書に全部記録するほととても重要なの儀式(礼典)で す(マタイ 26:26-29、マルコ 14:17-25、ルカ 22:7-22、ヨハネ 13:21-30)。 使徒パウロも第一コリント 11 章 23-29 節で聖餐の儀式(礼典)についてこ のように書いてあります。「・・・・したがって、もし、ふさわしくないままでパンを 食べ、主の杯を飲む者があれば、主のからだと血に対して罪を犯すことにな ります。ですから、ひとりひとりが自分を吟味して、そのうえでパンを食べ、杯 を飲みなさい。みからだをわきまえないで、飲み食いするならば、その飲み食 いが自分をさばくことになります。」(第一コリント 11:27-29)。
私たちがパンと主の杯を「ふさわしくないままで食べ、飲む。」というのはど んな意味でしょうか。1パンと、主の杯の意味を無視すること2イエス・キリス トの救いの恵みを忘れること3私の罪を背負って私の代わりに十字架の上で いのちの代価を払ったことを忘れること4私を罪とサタンの奴隷、また死から 救うために十字架の上で死んでくださったキリストの愛を忘却すること5形式 な宗教の儀式として聖餐の儀式(礼典)に参加したり、自分の罪を告白せず に参加することです。
神様は私たちが毎月、第一週目の主日礼拝の時、行われる聖餐の儀式(礼 典)に、心と体をつくし、また、霊魂を尽くして、形式的な不信仰ではなく、真心 から信仰をもって参加のを望んでおります。
【適用】聖餐の儀式(礼典)を通して改めてイエス・キリストの十字架の苦しみ と愛、救いの恵みを覚え、罪を赦してくださる神様の恵みに感謝しましょう。 【お祈り】

2022年2月2日(水)のみことば

五分バイブルロードマップ 329 2022.2.2(水)
清水聖書教会 牧師 韓在國 聖書;ローマ人への手紙4:4-5 題;『数えきれない神様の報い2』
「働く者の場合に、その報酬は恵みでなくて、当然支払うべきものとみなされ ます。何の働きもない者が、不敬虔な者を義と認めてくださる方を信じるなら、 その信仰が義とみなされるのです。」
神様は誰を探し求めていますか。私は敬虔なクリスチャンです。私は祖先 の信仰によって義と認められました。私の行いによって神様から報いを得まし た。と自分の信仰を数えるのでなく、私は不敬虔な者です。神様の憐れみとイ エス・キリストの愛でなければ救いに導かれなかった罪人です。と自分の罪と 愚かさを認め、悔い改める者に神様は近づいてきます。
イエス様は「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは 正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」(マルコの福音 書 2:17)と言われました。このように、イエス様が近づいて、探し求める者は、 自分の力では、何の救いを得ることができない、と思う者です。なぜなら、自 分が罪人だと思うクリスチャンは、自分の行いや功績、信仰では自分のどん な罪さえも解決できず、ただ神様の一方的な救いの恵みと数え切れない神様 の報いによってすべての罪が赦され、救われたと告白するからです。
ユダヤ人たちは、私たちの祖先や私の信仰の行いによって救われ、神様 から選ばれた、と選民意識をもって生きる者たちです。結局、彼らは自分たち の信仰と行いの代価として神様から報酬をもらいます。それは、神様からの 恵みではありません。この世の価値観と同じです。この世のシステムはお店 や会社で働く契約を通して時給、週給、月給の報酬が支払われます。
しかし、神様は働かない者に恵みを与えると言われました。それは、様々な 異教の宗教から改宗したローマ教会の聖徒たちは、元々信仰がなかった者 たちです。彼らの祖先はみんな偶像崇拝をした者たちです。ですから神様の 視点から見るとローマ教会のクリスチャンたちは救われる条件は何一つもなく、 みんな神様の裁きを受け、地獄に落ちる者たちです。しかし、神様は働かな い者に、すなわち、信仰がまったくない者に恵みとして報酬を与えるお方です。 2000 年前のローマ教会の聖徒たちも今の私たちも私の行いや祖先の信仰の 継承ではなく、数え切れないほどの神様の報いが与えられ、クリスチャンにな ったのです。
アブラハムもは勿論、パウロ、ローマ教会の聖徒、そして私たちも、自分た ちの信仰や行いによって、クリスチャンになったのではありません。神様の恵 みによって信仰が与えられ、神様が不敬虔な者たちを救いに導いてくださっ たのです。私たちが熱心の信仰生活をするから神様が私たちに報酬を与え、 義と認めたのではありません。神様の働き、すなわち、救いの働きによって信 仰が与えられ、私たちはイエスを信じると信仰告白をし、神様に義と認められ、 クリスチャンになったのです。
【適用】私に数え切れない報いを与え、神の子どもにしてくださった神様の恵 みに感謝しましょう。
【お祈り】

2022年2月1日(火)のみことば

五分バイブルロードマップ 328 2022.2.1(火)
清水聖書教会 牧師 韓在國 聖書;ローマ人への手紙4:4-5 題;『数えきれない神様の報い1』
「働く者の場合に、その報酬は恵みでなくて、当然支払うべきものとみなされ ます。何の働きもない者が、不敬虔な者を義と認めてくださる方を信じるなら、 その信仰が義とみなされるのです。」
今日の本文は、使徒パウロが働く者の報酬は恵みではなく、当然支払うべ きものですが、反面、何の働きもない者(不敬虔な者)の信仰が義とみなされ る、と語っています。
では、ここで私たちは、何の働きをしなくても良いでしょうか。敬虔な信仰生 活をする必要はありませか。という質問をしたいと思います。「働く者」とは「信 仰をもっている者」です。「働かない者」は「信仰がない者、不経験な者」です。 アブラハムは神様の約束を自分の理性や現実の体の状態から信じなかった 者でした。
アブラハムが 100 歳、サライが 90 歳の時、子どもを与える、と言われる神 様の約束のみことばを信じませんでしたが、神様は彼を信仰の祖先としまし た。パウロはクリスチャンを捕えて刑務所に入れ、処刑するために彼らを追跡 してダマスコの途上にまで来た時、復活の主イエス様と出会い、救いに導か れました。ローマ教会の聖徒たちは、以前、クリスチャンを密告し、原型のドー ムでクリスチャンたちが殉教される様子を見て、喜んで両手を叩く者たちです。 彼らには何の信仰もありませんでした。祖先たちにクリスチャンがいる者は誰 もいません。ローマ教会の信者たちの中、ユダ教から改宗したユダヤ人以外 にはみんな異教徒の信者として、ローマ皇帝を主とし、あらゆる偶像崇拝をし てきた者たちでした。
私たちもローマ教会のクリスチャンたちと何の変わりがなく、まったく同じ立 場でしょう。私たちの祖先の中、クリスチャンとして、信仰生活をしている人は ほとんどいないでしょう。また、私たち一人一人も素晴らしい信仰の行いを通 して、神様に認められ、救いに導かれた者は誰もいないと思います。
最初、私たちも神の約束を疑ったアブラハム、異邦人への伝道者パウロ、 異教徒から改宗し、ローマ教会の聖徒たちと同じく、信仰がなかった者たちで した。本来なら、私たちは神様から刑罰と裁きを受け、永遠の地獄に行くべき 者たちですが、数え切れない神様の報いによって信仰が与えられ、クリスチャ ンになりました。
神様は誰を捜し求めるために近づいてきますか。神様は敬虔なユダヤ人 たちのように、祖先の信仰や自分の行いによって信仰が与えられた、と思う 者ではなく、「私は信仰がなく、罪人です。神様の愛、イエス様の恵みと聖霊 様の導きがなければ、一日も生きることができません」と告白する者を探し求 めています。神様は、今も数え切れない神様の報いに感謝して生活する聖徒 にもっと大きいな報いを与えます。
【適用】神様の報いは私の信仰や意志とは関係なく、神様の一方的な恵みで あることを覚え、感謝しましょう。
【お祈り】

2022年1月27日(木)のみことば

五分バイブルロードマップ 326 2022.1.27(木)
清水聖書教会 牧師 韓在國
■教会とは何か。 6.教会の儀式(礼典)
イエス・キリストは弟子たちや初代教会のクリスチャンたち、そして私たちに この地上で教が誕生した時、必ず守るべき二つの儀式を教えました。洗礼の 儀式(礼典)と聖餐の儀式(礼典)です。
イエス様は、十字架の死の前、最後の過ぎ越しの祭りの時、弟子たちと過 ぎ越しの食事をする時、これから聖徒たちがパンとぶどう酒をもって守るべき 聖餐の儀式(礼典)を永遠の礼典として定めてくださいました。「それから、パ ンを取り、感謝をささげてから、裂いて、弟子たちに与えて言われた。『これ は、あなたがたのために与える、わたしのからだです。わたしを覚えてこれを 行いなさい。』食事の後、杯も同じようにして言われた。『この杯は、あなたが たのために流されるわたしの血による新しい契約です。』」(ルカの福音書 22:19、20)
ですから、神の家族の群れに入るためには必ず、洗礼を受けること、そし て洗礼を受け、クリスチャンになった教会員たちは必ず聖餐式を執り行うべき である、ことを示しています。
2)聖餐の儀式(礼典)の意味 1聖餐は罪人のために十字架の上に架かれたイエス・キリストの苦難と死を 記念する儀式です。 「記念」というのは「忘れず、ずっと覚えて腹に収める」という意味です。クリス チャンたちが共にパンを裂き、ぶどう酒を飲むことで私たちを罪から救うため に、ご自分のからだと血を捧げられたイエス・キリストの贖いの死を記念する ことです。イエス様はご自分のからだと血を犠牲にし、キリストを信じるすべて のクリスチャンと新しい契約を結びました。この新しい契約は、永遠のいのち を与える唯一のいのちの道であり、イエス・キリストを通してのみ救いを得ると ことです。ですから、私たちはイエスキリストの十字架の贖いの恵みを覚え、 感謝し、記念しなければなりません。
2この世の罪と貪欲、情欲、快楽を持っている自分の自我を殺すことです。 私たちにはまだ、神様のみことばを拒む罪悪の本姓(アダムの DNA)がそのま ま残っています。これらの肉の本姓を除去し、新しく生まれ変わった神の子ど もとして神様が喜ばれる聖なる(敬虔な)生活する、と誓うことです。
3神様との深い交わりを通して信仰を保ち、確立することです。 今まで、この世の価値観、この世の名誉、富、権力を求めて生きてきた自分 が、神様と深い交わりと会話をしつつ、イエス・キリストだけ頼る者に変わるこ とです。
【適用】私に永遠のいのちを与え、聖餐の儀式(礼典)に導てくださった神様の 恵みに感謝しましょう。
【お祈り】

2022年1月26日(水)のみことば

五分バイブルロードマップ 325 2022.1.26(水)
清水聖書教会 牧師 韓在國
聖書;ローマ人への手紙4:1-3 題;『真の信仰者2』 「それでは、肉による私たちの父祖アブラハムの場合は、どうでしょうか。もし アブラハムが行いによって義と認められたのなら、彼は誇ることができます。 しかし、神の御前では、そうではありません。聖書は何と言っていますか。「そ れでアブラハムは神を信じた。それが彼の義とみなされた」とあります。」
パウロは信仰の祖先アブラハムを取り上げ、彼が信仰の祖先となった動機 について説明しています。事実、アブラハムは誰が見ても素晴らしい信仰深 い人です。彼は神様の命令に従って、故郷カルデヤのウルから離れ、神様が 指示する未知の世界、カナンに向かいました。100 歳の時、神様から約束の 子を待ち望みました。また、一人の息子イサクをモリヤ山に行って惜しまず生 け贄として捧げました。ユダヤ人たちはこのようなアブラムの信仰から神様が 彼を信仰の祖先としたと思いました。
しかし、アブラハムはユダヤ人たちや私たちが思うように本当に信仰が深 い人でしょうか。アブラハムは子どもの時からお父さんの偶像を造る仕事を手 伝った者です。86 歳の時は、神様からの約束を背いてエジプトの女奴隷から 息子イスマエルを産みました(創世記 16:16)。創世記 20 章 1 節以下ではゲラ ルに滞在中、自分の身の安全のために、妻サライを妹だと嘘をついてアビメ レク王に妻を奪われる卑怯な人物です。
にもかかわらず、神様がアブラハムを信仰の祖先とした主な理由は何でし ょうか。アブラハムは自分の行いを誇りとせず、神様を誇りとし、すべてを神 様に栄光を返しました。神様がアブラハムに信仰を与え、約束の息子イサク さえも惜しまず、捧げる信仰を与えました。
勿論、信仰は行いが必要です。神様はヤコブの手紙で「・・・・信仰も、もし 行いがなかったなら、それだけでは、死んだものです。」(ヤコブの手紙 2:17) と言われました。問題は、私たちの信仰の行いを自分の誇りとするのか、神 様を誇り、神様に栄光を返すのか、ということです。不信仰者はすべて自分の 功績と思い、自分の誇りにしますが、真の信仰者は自分の行いを誇らず、神 様を誇り、すべての栄光を神様に返します。 不信仰者は自分の力と努力を見て、自分の行いを誇りとし、自慢しますが、 真の信仰者は自分を見ず、神様だけを見ます。今、自分が行っている働きや 奉仕、賜物、信仰生活は全てが神様から与えられたものだと信じ、自分を誇 らず、神様を誇り、神様の恵みに感謝し、主の御名を賛美します。
私たちは神の御前で誇ることは一つもありません。イエス様は罪深い私た ちをご自分の血潮で、綺麗に洗ってくださいます。イエス様の愛と神様の憐れ みと罪の赦しがなければ神の御前に出る者は誰もいません。すべてにおいて 神様の恵みに感謝し、神様を誇る真のクリスチャンとなり、信仰の祖先となり ましょう。
【適用】今も神様は神だけを誇る真の信仰者を探し求めております。私は誰を 誇っていますか。自分ですか。神様ですか。
【お祈り】

2022年1月25日(火)のみことば

五分バイブルロードマップ 324 2022.1.25(火)
清水聖書教会 牧師 韓在國
聖書;ローマ人への手紙4:1-3 題;『真の信仰者1』 「それでは、肉による私たちの父祖アブラハムの場合は、どうでしょうか。もし アブラハムが行いによって義と認められたのなら、彼は誇ることができます。 しかし、神の御前では、そうではありません。聖書は何と言っていますか。「そ れでアブラハムは神を信じた。それが彼の義とみなされた」とあります。」
ローマ人への手紙は 54 年~57 年パウロの第 3 回目の伝道旅行の時、57 年頃、最後の伝道の地コリントに辿り着いて、約 3 か月間滞在しながら、執筆 した手紙(使徒 20:3)です。ローマ教会はパウロが開拓したのではなく、一度 も訪問したことはありません。パウロがローマ書を書いた主な目的は、ローマ 教会の聖徒たちが福音に対して誤解していたからです。それで、パウロは彼 らに「救いは人間の行いや功績、律法の行いで得るのではなく、イエスを信じ る信仰によって得る」「人間の行いが信仰の誇りではない」という真理を伝え ています。
ローマ教会はユダ教から改宗したユダヤ人クリスチャンと異教徒の宗教か ら脱退し、イエスを信じる異邦人クリスチャンが信仰の共同体として信仰生活 をしています。彼らはクリスチャンになったことで、職場を失い、家族から追い 出され、社会から無視される対象となりました。子どもたちは父母がクリスチ ャンになった理由で学校から退学され、今までの友だちからもいじめの対象と なりました。彼らは物を買うことさえもできなくなりました。
使徒の働き 2 章 43 章以下では、「・・・資産や持ち物を売っては、それぞれ の必要に応じて、みなに分配していた。」と言う事実から、資産家たちは自分 たちの財産などを売って貧しいクリスチャンたちを支援したことが分かります。
ローマ教会の問題は、これらの支援活動をしている人たちの行動や姿が目 立ち、結果的に、支援する人たちの人間的な誇りが知らされています。それ によって貧しいクリスチャンたちは惨めさを感じ、信仰の躓きが与えられ、教 会から離れる人もも生じていました。
パウロは本文 4 章 1 節で「それでは」という接続詞を書き出し、前に論じた ものを転換し、新しい局面に入っています。すなわち、ローマ人への手紙 1 章 から 3 章まで「義人は信仰によって生きる」(1:17)「義人はいない一人もいな い」(3:10)「神様がイエスを信じる者を義と認められた」(3:21~28)と教え、パ ウロ自分が主張した真理に対して立証するために信仰の祖先アブラハムを 登場させました。
【適用】私たちは自分の熱心な信仰生活や他人の行った善行を通して、神様 に誇りと栄光を返さなかったことはありませんか。
【お祈り】

2022年1月21日(金)のみことば

五分バイブルロードマップ 323 2022.1.21(金)
清水聖書教会 牧師 韓在國
■教会とは何か。 6.教会の礼典(儀式)
イエス・キリストはこの地上の教会に必ず守るべき二つの礼典(儀式)を教 えました。洗礼の礼典と聖餐の礼典です。イエス様は福音宣教の前にバプテ スマのヨハネから洗礼を受けました。イエス様ご自身が自ら洗礼の模範を見 せました。 「そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来られ、ヨルダン川で、 ヨハネからバプテスマをお受けになった。」(マルコの福音書 1:9)
「それから、パンを取り、感謝をささげてから、裂いて、弟子たちに与えて言 われた。『これは、あなたがたのために与える、わたしのからだです。わたしを 覚えてこれを行いなさい。』食事の後、杯も同じようにして言われた。『この杯 は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約です。』」(ルカ の福音書 22:19、20)
1)洗礼の礼典(儀式)の意味 3聖霊の働きを認める事です。聖霊様は洗礼に導かれ、信仰の告白をさせ、 救いに導かれます。 「この賜物について話すには、人の知恵に教えられたことばを用いず、御霊 に教えられたことばを用います。その御霊のことばをもって御霊のことを解く のです。」(コリント人への手紙第一 2:13) 4イエス・キリストのうちの統一性を現すことです。クリスチャンは主にあって 神の家族であり、キリストのからだに結ばれた各器官です。 「からだは一つ、御霊は一つです。あなたがたが召されたとき、召しのもたらし た望みが一つであったのと同じです。主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは 一つです。すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのもののう ちにおられる、すべてのものの父なる神は一つです。」(エペソ人への手紙 4:4~6)
5イエス・キリストのうちで新しい命の印です。 洗礼を通してこの世的な肉の思い、自我、偶像崇拝を切り捨て、神の子ども として新しく生まれ変わります。 「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いも のは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(コリント人への手紙第二 5:17) 6イエス・キリストの命令です。イエス様はクリスチャンになるためには必ず洗 礼という礼典(儀式)を執り行うよう言われました。 「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、 父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、」(マタイの福音書 28:19)
【適用】神様の計画とイエス・キリストの愛、聖霊の働きよって洗礼を受け、ク リスチャンになったことに感謝し、神の子どもとして感謝と勇気をもって信仰の 道を歩み続けましょう。
【お祈り】

2022年1月20日(木)のみことば

五分バイブルロードマップ 322 2022.1.20(木)
清水聖書教会 牧師 韓在國
■教会とは何か。 6.教会の礼典(儀式)
イエス・キリストはこの地上の教会に必ず守るべき二つの礼典(儀式)を教 えました。洗礼の礼典と聖餐の礼典です。イエス様は福音宣教の前にバプテ スマのヨハネから洗礼を受けました。イエス様ご自身が自ら洗礼の模範を見 せました。 「そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来られ、ヨルダン川で、 ヨハネからバプテスマをお受けになった。」(マルコの福音書 1:9)
また、十字架の死の前、最後の過ぎ越しの祭りの時、弟子たちと過ぎ越し の食事をする時、これからパンとぶどう酒を通して聖餐の礼典(儀式)を行う ように定めてくださいました。「それから、パンを取り、感謝をささげてから、裂 いて、弟子たちに与えて言われた。『これは、あなたがたのために与える、わ たしのからだです。わたしを覚えてこれを行いなさい。』食事の後、杯も同じよ うにして言われた。『この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血によ る新しい契約です。』」(ルカの福音書 22:19、20)
ですから、神の家族の群れに入るためには必ず、洗礼を受けること、そし て洗礼を受け、クリスチャンになった教会員たちは必ず聖餐式を執り行うべき である、ことを示しています。
1)洗礼の礼典(儀式)の意味 1イエス・キリストと一つに結ばれた、という信仰告白です。 「それとも、あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスにつくバプテスマ を受けた私たちはみな、その死にあずかるバプテスマを受けたのではありま せんか。私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとと もに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよ みがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。 もし私たちが、キリストにつぎ合わされて、キリストの死と同じようになってい るのなら、必ずキリストの復活とも同じようになるからです。」(ローマ人への 手紙 6:3~5)
2回心したことを現わすことです。 異教徒からクリスチャンに、偶像崇拝からイエスキリストを信じる信仰者に変 わったという証しです。 「そのことは、今あなたがたを救うバプテスマをあらかじめ示した型なのです。 バプテスマは肉体の汚れを取り除くものではなく、正しい良心の神への誓い であり、イエス・キリストの復活によるものです。」(ペテロの手紙第一 3:21)
【適用】神様の導きと恵みによって洗礼を受け、聖餐式に参加する神の家族 の一員として喜びと感謝に満ち溢れる生活を行いましょう。
【お祈り】

2022年1月19日(水)のみことば

五分バイブルロードマップ 321 2022.1.19(水)
清水聖書教会 牧師 韓在國
聖書;ヨシュア記14:12-15 題;『最高の強力な武器2』 「どうか今、主があの日に約束されたこの山地を私に与えてください。あの日、 あなたが聞いたように、そこにはアナク人がおり、城壁のある大きな町々があ ったのです。主が私とともにいてくだされば、主が約束されたように、私は彼ら を追い払うことができましょう。・・・・・そして、その地に戦争はやんだ。」
私たちにも追い払うべきヘブロンのアナク子孫がいませんか。私たちは現 実的に解決可能な問題は誰でも信仰をもって簡単に追い払い、征服すること ができます。しかし、現実的に自分の力と努力から解決不可能な難しい問題 に直面した時、絶対無理だと思い、放棄する場合があります。
私たちにも巨人アナク子孫がいるヘブロン城壁があります。仕事が計画通 りに順調に進まない時、自分は健康だと思いながら生活をしてきましたが、突 然、予想外の重い病にかかった時、経済的な面からもかなり困窮に置かれた 時、家族や社会生活の中で自分が解決できない様々な問題が起こった時、 当然、不安や心配、恐れが生じるのは当たり前です。
しかし、神様は神の子どもである聖徒がどんなヘブロン城壁のような難攻 不落の問題の前でも恐れながら生活するのを望んでおりません。神様は私た ちに「信仰」という最高の強力な武器を与えてくださいました。この武器を持っ て生きる聖徒はカレブのように巨人アナク子孫のような大きいな問題の前で も恐れず、神様が私の味方として戦ってくださる、と信じ、問題を追い払うこと ができます。
時には、サタンは私たちにイスラエルの兵士たちのように不安と恐れを生じ させ、「あなたは何もできない人だよ。あなたの信仰と力では絶対に無理だよ」 と、神様への不信仰を与え、否定的な考えを与えます。そして、私たちを現実 の問題に注目させ、心に挫折と絶望に与え、不安と恐れをもって、不信仰の 穴に落としてしまいます。
神様は聖書でアブラハム、イサク、ヤコブ、モーセ、カレブに約束されたの は私たちにも有効であり、信仰の祖先や先輩たちと同じく神の約束成し遂げ てくださる、と言われました。「イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、 同じです。」(ヘブル人への手紙 13:8)
神様は聖書の中で約束のみことばを与え、いつも私たちと共におられ、す べての難攻不落の問題を全部追い払ってくださるお方です。神様から与えら れた最高の強力な武器、すなわち「信仰」をもってどんな問題でも追い払い、 解決し、勝利する信仰者となりましょう。
【適用】神様から与えられた「信仰」という最強の武器をもって恐れず、問題を 解決し、勝利をしましょう。
【お祈り】

2022年1月18日(火)のみことば

五分バイブルロードマップ 320 2022.1.18(火)
清水聖書教会 牧師 韓在國
聖書;ヨシュア記14:12-15 題;『最高の強力な武器1』 「どうか今、主があの日に約束されたこの山地を私に与えてください。あの日、 あなたが聞いたように、そこにはアナク人がおり、城壁のある大きな町々があ ったのです。主が私とともにいてくだされば、主が約束されたように、私は彼ら を追い払うことができましょう。・・・・・そして、その地に戦争はやんだ。」
カナンの地にイスラエル民が一番難しい二つの難攻不落の町がありました。 エリコ城とヘブロンの城壁です。エリコの町は総司令官ヨシュアと一緒に勝利 を手に入れました。しかし、カナンの部族や高い山地にある一番強いヘブロン 城はイスラエルの各部族が彼らと戦って手に入れなければなりません。
イスラエルの各部族の兵士たちは一度も自分たちの武器や力でカナンの 部族と戦った経験がなかったので各部族の将軍や若い兵士たちはみんな恐 れて、カナンの地を征服する勇気を失いました。その時、85 歳の老人カレブ が彼らの前に出て、ヨシュアに 45 年前、自分がカナンの地を偵察した時、踏 み歩いたヘブロンの山地を要求し、アナク子孫を攻撃して彼らを追い払う、と 大胆に語っています。
7 年前ヨルダン川の近辺にあるエリコ城が崩れ、征服された噂を聞いた彼 らはもっと強力な武器を備え、力強い兵士の訓練を続け、いつでもイスラエル の兵士たちと戦う準備をしています。代わりに、カレブは自分の身もあまりコ ントロールできない老人です。武器もあまりありません。訓練された兵士たち もあまりいません。にも拘らず、彼はヘブロンのアナク子孫を追い払うと勇気 をもって強く断言しています。カレブがもうヘブロンの山地に攻撃する前に、12 節後半「私は彼らを追い払うことができましょう」と、勝利の確信をもって語っ た動機は何ですか。神様がカレブの心にアナク子孫を追い払うことばできる 信仰を与えたからです。
まず、神の約束のみことばは必ず成し遂げる。カレブは、現実の自分の状 況を見たのではなく、イスラエルの祖先アブラハム、イサク、ヤコブ、モーセに 約束れた神の約束のみことばを信じました。「・・・『権力によらず、能力によら ず、わたしの霊によって』と万軍の主は仰せられる。」(ゼカリヤ書 4:6)
次に、神様が共に戦ってくださる。カレブはヘブロンのカナンの部族がいく ら強くても、自分には神様から与えらた最高の強力な武器、すなわち信仰を 持っているので、彼らをを追い払うことができる、と確信しました。
最後に、信仰をもって必ず追い払う。カレブにとって信仰だけが最強の武器 です。カレブは信仰さえあれば、難攻不落のヘブロンの巨人アナク子孫と戦 って、彼らを追い払うことができると信じました。
カレブは自分の年齢もユダ部族の軍事力も見ないで、ただ、神様から与え られた最高の強力な武器、信仰だけもって巨人アナク子孫を追い払う信仰者 でした。神様は彼の信仰に応え、アナク子孫を追い払ってくださいました。
【適用】神様が私に与えた最高の強力な信仰の武器をもって私の前にあるア ナク子孫や難しい問題を追い払いましょう。
【お祈り】

2022年1月14日(金)のみことば

五分バイブルロードマップ 319 2022.1.14(金)
清水聖書教会 牧師 韓在國
■教会とは何か。
5.教会の使命
1)真理を守る者 「それは、たとい私がおそくなった場合でも、神の家でどのように行動すべき かを、あなたが知っておくためです。神の家とは生ける神の教会のことであ り、その教会は、真理の柱また土台です。」(テモテへの手紙第一 3:15)
教会はイエス・キリストのからだです。教会の頭はイエス様です。イエス様 は神であり、罪人を罪から赦し、イエスを救い主として信じる者には永遠のい のちを与えるお方です。また、イエス様は死人のうちより甦られ、天に昇られ ました。これがキリスト教の土台です。また、イエス様は 3 年半、福音伝道の 働きの時、一番注目すべきことは「わたしは真理です」と言われました。
この真理はただの知識的な真理ではなく、はじめに神様がおられ、すべて のものを創造し、神が宇宙の全てのものと私たちの存在に対して責任を持 ち、秩序に導いてくださる、という実在です。
神様は今もイエス・キリストのからだである教会に真理を守るように使命を 与えました。クリスチャンは真理以外のものに従わず、妥協せず、もっぱら真 理であるイエス様だけが人類を罪から救い出し、永遠のいのちを与える救い 主であることを伝える使命が与えられました。神様がこの世の真ん中に神の 家として教会を建て、クリスチャンをこの世に送り出す主な目的も、真理であ るイエス・キリストを証しするためです。
2)イエス・キリストの代行者 「すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あ なたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりに したのは、わたしにしたのです。』」(マタイの福音書 25:40) 「あなたがたに耳を傾ける者は、わたしに耳を傾ける者であり、あなたがたを 拒む者は、わたしを拒む者です。わたしを拒む者は、わたしを遣わされた方を 拒む者です。」(ルカの福音書 10:16)
教会はキリストのからだであり、クリスチャンはからだの各器官です。各器 官はかしらであるイエス様の指示と命令に従って各々働きをします。ですか ら、私たちはキリストの指示に従い、イエス・キリストの代行者として生きる存 在です。私のために生きる者ではなく、イエス様の代わりに、この世の中でイ エス様のご計画とビジョンを成し遂げるために呼び集められ群れが教会で す。
【適用】教会の一員としてイエス様の命令に従順に従う聖徒になりましょう。 【お祈り】

2022年1月13日(木)のみことば

五分バイブルロードマップ 318 2022.1.13(木)
清水聖書教会 牧師 韓在國
■教会とは何か。
5.教会の使命
1)伝道と宣教 「それから、イエスは彼らにこう言われた。『全世界に出て行き、すべての造ら れた者に、福音を宣べ伝えなさい。』」(マルコの福音書 16:15) 福音伝道(evangelism)という言葉はギリシャ語ユアンゲリオン(euangelion)か ら由来した「良いお知らせ、Good News」である。動詞ユアンゲルゾマイ (euangelizomai)は「良いお知らせを宣布する、良いお知らせる伝える」という 意味を持っています。
すべてのクリスチャンは伝道しなさい、という召しを受けました。すなわち、 イエスを信じる者は誰でも「神様は人々を愛し、彼らを救いに導きます」という 喜びのお知らせを伝えなければなりません。 イエス様が私たちに与えられた使命があります。それはこの世の生活の中で キリストの証人として生きることです。 「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けま す。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、 わたしの証人となります。」(使徒の働き 1:8)イエスキリストの証人として生き るのは簡単ではないでしょう。私たちの力でキリストの証人としての使命を担 うのがどれほど難しいのか、を知っているイエス様は聖霊様を送ってくださ る、と約束されました。
聖霊に望まれると使徒働き 2 章の初代教会の弟子たちや聖徒たちのよう に大胆にイエス様が救い主であると宣布することができます。そのために、イ エス様は世の終わりまで私たちと共におられ、助け、力を与え、導いてくださ る、と約束されました。 「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そし て、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたが たに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたし は、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイの福音書 28:19、20)
イエス様が私たちに要求するのは「証拠」ではなく「証人」です。私たちが家 庭や職場、そして日々の生活の中で、ただクリスチャンとして聖書のみことば に相応しく生活するのがキリストの証人の生活です。その時、聖霊様が福 音、すなわち良い知らせ(Good News)を証拠する、というイエス・キリストは言 われました。
【適用】私の生活の中でイエス・キリストを現わす証人の歩みを歩みましょう。 【お祈り】

2022年1月12日(水)のみことば

五分バイブルロードマップ 317 2022.1.12(水)
清水聖書教会 牧師 韓在國
聖書;ヨシュア記14:10-11 題;『信仰の年齢はいくつ?2』 「今、ご覧のとおり、主がこのことばをモーセに告げられた時からこのかた、イ スラエルが荒野を歩いた四十五年間、主は約束されたとおりに、私を生きな がらえさせてくださいました。今や私は、きょうでもう八十五歳になります。しか も、モーセが私を遣わした日のように、今も壮健です。私の今の力は、あの時 の力と同様、戦争にも、また日常の出入りにも耐えるのです。」
神様はイスラエルの若者を除いて 85 歳のカレブや私たちを通してカナンの 征服の扉を上げてくださいます。
まず、神様はカレブが信仰に成熟者するように育ちました。 神様はカレブのカデシュ・バルネアでの報告後、荒野での 38 年間、また、 カナンに入って 7 年間の戦争を通して、カレブの信仰がもっと成熟するため に育ってくださいます。カレブの信仰が成熟したのは「神の約束のみことば」
を握り締めて生きたからです。 神様は私たちに様々な問題や病を征服するために神の約束のみことばを
通して信仰の成熟をさせてくださいます。 次に、壮健な力と大胆な信仰を与えました。
神様はカレブに信仰は勿論、肉体、精神、心などの健康を与えました。彼 の人生のすべてはもっぱらカナンの征服のために捧げました。今 85 歳のカ レブの信仰の年齢は 40 歳です。彼は歳月が過ぎても 45 年前の神様の約束 を忘れたことがない信仰者です。
私たちの信仰の年齢はいくつですか。神様は私たち一人一人が不信仰の 肉体の弱い 85 歳ではなく、信仰の力強い 40 歳の年齢をで生きるのを望ん でおります。
最後に、神様はカレブを通して信仰のことばを告白させます。 神様はカレブを通してカナンの地の征服を恐れているイスラエルの民に信 仰のことばを語らせ、彼らに改めて信仰を甦らせ、神の約束のみことばに芽 生えさせました。すなわち、アナク子孫を恐れてカナンの地に戦いに行くのを 恐れているイスラエルの民の前にカレブの信仰告白はイスラエル民の信仰 の模範となりモデルとなりました。「そこでその日、モーセは誓って、『あなた の足が踏み行く地は、必ず永久に、あなたとあなたの子孫の相続地とな る。』」(9 節)。今日の本文 11 節で彼は 45 年前のこの約束を一度も忘れる
ことなく、40 歳の時の力と同様だと信仰告白しています。 私たちが自分の知恵や経験で解決できず、自分の力で征服できない問題
に直面している時、40 歳の信仰の者に生まれ変わり、信仰告白を通して、問 題を征服するよう神のみことばの上に堅く立ちましょう。
【適用】今の自分の年齢とは関係なく、40 歳の信仰の年齢をもって信仰の歩 みを続けましょう。
【お祈り】

2021年1月11日(月)のみことば

五分バイブルロードマップ 316 2022.1.11(火)
清水聖書教会 牧師 韓在國
聖書;ヨシュア記14:10-11 題;『信仰の年齢はいくつ?1』 「今、ご覧のとおり、主がこのことばをモーセに告げられた時からこのかた、イ スラエルが荒野を歩いた四十五年間、主は約束されたとおりに、私を生きな がらえさせてくださいました。今や私は、きょうでもう八十五歳になります。しか も、モーセが私を遣わした日のように、今も壮健です。私の今の力は、あの時 の力と同様、戦争にも、また日常の出入りにも耐えるのです。」
これからはイスラエルの各部族が強力なカナンの部族と戦争をし、自分た ちが定着して住むべき地を手に入れなければなりません。イスラエル民はみ な恐れていました。その時、85 歳のカレブがヨシュアにカナンの部族の中で一 番強いアナク子孫がいるヘブロンの地に戦いに行かせてください、と要求して います。カレブはもう 85 歳で戦争に出て敵と戦う年齢ではありません。
しかし、神様は今 85 歳の老人カレブを恐れているイスラエルの民の前で、 立たせました。彼は 40 歳の時、カデシュ・バルネアで神様から頂いた約束の みことばを信じ、自分が先頭に立って、ヘブロンの兵士たちと戦ってその地を 占領する、と語っています。10 節「主のことばとおり」11 節「主は約束されたと おり」、12 節「主があの日に約束されたこの山地」「主が約束されたように、私 は彼らを追い払うことができましょう」これがカレブが持っている一番強力な秘 密武器です。
まず、カレブは神の約束を握り締めて来ました。
彼は 45 年前、カデシュ・バルネアで神様神様がモーセを通して与えられ
た「『あなたの足が踏み行く地は、必ず永久に、あなたとあなたの子孫の相続 地となる。」(9 節)という約束のみことばを一度も忘れたことがありませんでし た。カレブは 40 歳の時の信仰の年齢で生きて来た信仰の人です。
次に、カレブは神の約束を信じ、徹底的に健康管理をしてきました。
11節で 「しかも、モーセが私を遣わした日のように、今も壮健です。私の今の 力は、あの時の力と同様、戦争にも、また日常の出入りにも耐えるのです。」 と、皆の前で語りました。
彼は、神様の約束は必ず実現すると信じ、その日のために信仰の成熟と 共に、精神や心、また体も鍛錬し、健康維持のために磨いて来ました。
このように信仰を持ってない者は 85 歳のように力が弱い者ですが、信仰 の人は 40 歳の力強い者です。不信仰をもっている者は問題の前でいつも恐 れていますが、信仰をもっている者はカレブのようにどんな問題の前でも恐れ ず、神様の約束のみことばを信じ勇敢に戦います。
【適用】いつも信仰の年齢 40 歳となって、問題の前で信仰の兵士として勇敢 に戦い、勝利者になりましょう。
【お祈り】

2021年1月7日(金)のみことば

五分バイブルロードマップ 315 
2022.1. 7(金)
清水聖書教会 牧師 韓在國
■教会とは何か。
4.教会(神殿)の要素 4)教会(神殿)は神から霊的・肉体的な祝福が出る所です。 「主はシオンからあなたを祝福される。あなたは、いのちの日の限り、エルサ レムの繁栄を見よ。」(詩篇 128:5)
(3)豊かな生活の祝福
1 神様は溢れるような祝福を満たしてくださいます。
「それゆえ、主はこう仰せられる。『わたしは、あわれみをもってエルサレ ムに帰る。そこにわたしの宮が建て直される。──万軍の主の御告げ─ ─測りなわはエルサレムの上に張られる。』もう一度叫んで言え。万軍の 主はこう仰せられる。『わたしの町々には、再び良いものが散り乱れる。 主は、再びシオンを慰め、エルサレムを再び選ぶ。』」(ゼカリヤ書 1:16~ 17)
2 神様はイスラエルの民に呪いではなく祝福を与える決めました。 「ユダの家よ。イスラエルの家よ。あなたがたは諸国の民の間でのろいと なったが、そのように、わたしはあなたがたを救って、祝福とならせる。恐 れるな。勇気を出せ。」(ゼカリヤ書 8:13)
3 教会(神殿)を通して怒りと呪いが止め、神様の祝福を享受することがで きます。
「それは、平安の種が蒔かれ、ぶどうの木は実を結び、地は産物を出し、 天は露を降らすからだ。わたしはこの民の残りの者に、これらすべてを継 がせよう。」(ゼカリヤ書 8:12)
4 恵みの祝福を享受するところが教会(聖なる山)です。 「多くの国々の民、強い国々がエルサレムで万軍の【主】を尋ね求め、主 の恵みを請うために来よう。」」(ゼカリヤ書 8:22)
5 「きょうから後、わたしは祝福しよう。」 「さあ、あなたがたは、きょうから後のことをよく考えよ。すなわち、第九の 月の二十四日、主の神殿の礎が据えられた日から後のことをよく考え よ。種はまだ穀物倉にあるだろうか。ぶどうの木、いちじくの木、ざくろの 木、オリーブの木は、まだ実を結ばないだろうか。きょうから後、わたしは 祝福しよう。」(ハカイ書 2:18~19)
神様は旧約時代のイスラエル民と今日のクリスチャンたちに教会(聖なる山、 聖徒の群れ)を離れて礼拝や交わり、奉仕、伝道などをするのではなく、イエ ス・キリストのからだである教会中心の信仰生活をするのを望んでおります。
【適用】神様は必ずご自分の民に溢れるばかりの祝福を与えるお方である、 と信じましょう。
【お祈り】

2022年1月6日(木)のみことば

五分バイブルロードマップ 314 
2022.1. 6(木)
清水聖書教会 牧師 韓在國
■教会とは何か。
4.教会(神殿)の要素 4)教会(神殿)は神から霊的・肉体的な祝福が出る所です。 「主はシオンからあなたを祝福される。あなたは、いのちの日の限り、エルサ レムの繁栄を見よ。」(詩篇 128:5)
(1) 祈りの応答
1 ダビデは聖なる山で神様に祈りの答えを頂きました。
「こうしてダビデは、そこに主のために祭壇を築き、全焼のいけにえと和 解のいけにえとをささげて、主に呼ばわった。すると、主は全焼のいけに えの祭壇の上に天から火を下して、彼に答えられた。」(歴代誌第一 21:26)
2 教会は神の怒りを止めさせ、祈りの答えを頂く所です。 「そして、この宮、すなわち、あなたが御名をそこに置くと仰せられたこの 所に、昼も夜も御目を開いていてくださって、あなたのしもべがこの所に 向かってささげる祈りを聞いてください。」(歴代誌第二 6:20)
3 神様は聖徒を聖なる山に導いて祈りに応えてくださます。 「私は声をあげて、主に呼ばわる。すると、聖なる山から私に答えてくださ る。 セラ」(詩篇3:4)
(2)恵みの祝福 「それゆえ、主はあなたがたに恵もうと待っておられ、あなたがたをあわれもう と立ち上がられる。主は正義の神であるからだ。幸いなことよ。主を待ち望む すべての者は。ああ、シオンの民、エルサレムに住む者。もうあなたは泣くこ とはない。あなたの叫び声に応じて、主は必ずあなたに恵み、それを聞かれ るとすぐ、あなたに答えてくださる。」(イザヤ書 30:18~19)
【適用】キリストのからだである教会を通して、祈りが応えられる祝福を頂きま しょう。
【お祈り】

2022年1月5日(水)のみことば

五分バイブルロードマップ 313
 2022.1. 5(水)
清水聖書教会 牧師 韓在國
聖書;ヨシュア記14:8-9 題;『変わらない信仰2』 「私といっしょに上って行った私の身内の者たちは、民の心をくじいたのです が、私は私の神、主に従い通しました。そこでその日、モーセは誓って、『あな たの足が踏み行く地は、必ず永久に、あなたとあなたの子孫の相続地となる。 あなたが、私の神、主に従い通したからである』と言いました。」
私たちの前にもカナンの地やヘブロンを征服するべき問題はあるでしょう。 私たちが直面している問題の前で神様が私たちに求めるのはイスラエルの 民のような信仰ではなく、変わらないカレブのような信仰です。
まず、問題を恐れない信仰者になりましょう。 私たちが問題に焦点を合わせると神様は見えず、心配や恐れが先に生じ、
結局、挫折してしまいます。私たちの司令官はイエス様です。イエス様が私た ちと一緒に問題の山を占領し、解決してくださいます。
次に、持続的な信仰者になりましょう。 神様が私たちに求める信仰は、悩み、病、試練、苦しみなど様々な問題に
直面しても、神様が必ずご自分の民である私たちを守ってくださり、解決してく ださる約束を信じ続けることです。神様は私たちが問題と私たちを比較するの ではなく、問題と神様を比較するのを望んでおります。なぜなら、神様がカナ ンの巨人アナ子孫や堅い城壁を打ち破る力と問題を解決するマスターキーを 持っておられるからです。
最後に、変わらない信仰者になりましょう。
カレブは 45 年間、神様がモーセを通して自分に与えようと約束されたカナ
ンの地の征服を一度も疑ったり忘れたことはありませんでした。神様は私たち に聖書のみことばの中で数え切れないほどの約束をしてくださいました。大切 なのは、私たちが変わらない信仰をもって、神様の約束を信じることです。
カレブに約束された神様は今も変わらない信仰をもって生活しているクリス チャンたちにカナンとヘブロンのような問題を全部解決してくださいます。
【適用】私たちの前に直面している問題を恐れず、変わらない信仰をもって司 令官イエス・キリストの手を掴んで、問題の征服に前進しましょう。
【お祈り】

2022年1月4日のみことば

五分バイブルロードマップ 312 
2022.1. 4(火)
清水聖書教会 牧師 韓在國
聖書;ヨシュア記14:8-9 題;『変わらない信仰1』 「私といっしょに上って行った私の身内の者たちは、民の心をくじいたのです が、私は私の神、主に従い通しました。そこでその日、モーセは誓って、『あな たの足が踏み行く地は、必ず永久に、あなたとあなたの子孫の相続地となる。 あなたが、私の神、主に従い通したからである』と言いました。」
カレブは 45 年前、神様がモーセを通してカナンの地を全部与える、という 約束のことばを一度も忘れたことはありません。彼は 40 才の時、神様から頂 いたみことばへの約束について、変わらない信仰をもって 45 年過ぎた今も、 神様の約束のビジョンを抱いて、イスラエルの民の前で、大胆に語っています。
今まではヨシュアの指導や指揮の下で戦いをして来た彼らは、13 章 1 節で ヨシュアが高齢となり、これ以上戦うことができないヨシュアの代わりに自分た ちが直接行って戦争をしなればなりません。このような状況からみんなが恐 れている時、神様はカレブを登場させています。
高齢者カレブは一番占領が難しいヘブロンの地を要求し、戦いに行こうとし ています。
このようなカレブはどんな人でしょうか。
 Iカレブは左右揺るがない信仰者でした。
カレブはイスラエル民が不信仰に落ちいて、神様の約束を信じない時、変 わらない信仰をもって、彼らに神の約束通りに今も導いてくださる、と証明し、 左右揺るがない信仰をもって、恐れているイスラエルの民に勇気を与える信 仰者です。
IIカレブは主だけに従う信仰者です。 カレブの変わらない信仰の原動力はどこから生まれましたか。今日の本文
8 節で「・・・私は私の神、主に従い通しました。」と語ったように、カレブは神様 だけに従順に従う信仰をもっている者です。
イスラルの民はカナンの部族と自分たちと比較し、自分たちよりカナンの部 族がもっと強い兵器や軍事力をもっているのを見て恐れています。しかし、カ レブはカナンの部族と神様と比較したのです。カナンの部族よりもっと強い神 様が必ず、約束通りにカナンの地を与えると信じ、約束されたみことばに従順 に従いました。
IIIカレブは変わらない信仰者です。
9 節「そこでその日、モーセは誓って、『あなたの足が踏み行く地は、必ず永久 に、あなたとあなたの子孫の相続地となる。あなたが、私の神、主に従い通し たからである』と言いました。」 カレブは変わらない信仰を持って神様の約束に燃え続け、カナンの征服への ビジョンに希望と確信を持っていました。カレブは今、85 歳の老人になっても、 変わらない信仰をもって、神の約束のみことばが成就する望みと期待をもっ て、民の前で大胆に語り、信仰と勇気を与えています。
【適用】神様の約束は変わりません。今も実現しています。地の果てにまでキ リストの証人となるビジョンを抱いて、変わらない信仰をもって、イエス様が与 えてくださったビジョンを成し遂げましょう。
   【お祈り】